New Birthday.｜リアクション

New Birthday.

　浮舟久雨は髪を触られるのはあまり得意ではなかった。けれど相手はその道を目指しているであろう先輩だから。素人の自分のワガママで迷惑をかける訳にはいかない。そう思って、胸の奥で暴れる、小さな緊張を外に出さないようにしていた。
　その出来栄えに驚かされ、その上、降ってきた言葉は「ね、ついでにメイクさしてくんない？」というもの。
　言葉の意味も、丑都渡紗姫のやろうとしていることの意味もわかるが、思わず聞き返していた。
「化粧？　私が？」
「そーだよ。髪型に合うようにしたげるよ。あんた素材がいいからメイク映えしそうだし、どう？」
「世辞は良い」
　反射的に口をついたのは、本心も本心。だが、見る見る間に萎んでいく紗姫の表情を見ていると、とても断る気にはなれない。
「……この際だ、お願いする」
　髪型も化粧も今日一日だけのこと。ならばこれはこれで、悪くはない。
「ん、じゃ目ぇつぶって」
「了解だ」
「ま、任せてね。普段はコスメショップでバイトもしてるしい」
　そうして言われるがまま目をつむると、ふわりというのかさらりというのか、くすぐったいというよりはここちの良い刷毛が顔の上で踊る。
「まずは髪の毛落とすだけだからー。んで、次はちょい冷たいよ」
　ゆったりとしたワルツのような感触が過ぎると、前髪をピンで留められて、そしてにゅるりと冷たいゲル状のものが額に、頬に、鼻に、顎に塗られていった。そのゲル状のものも顔全体に広がって、次第に馴染んでくる。
「次はちょっと熱いよー。熱過ぎたら言ってー」
　そして顔を覆う温かいタオル。顔の筋肉をほぐすように表面の液体を拭っていった。
「これで下準備は、いーからー」
　他人に顔を触れられるのは、嫌だと思っていたが、存外、心地いいものなのかもしれない。
「こんなもんかな？　目あけていーよ」
　そう思っているわずかな時間の間に、化粧は終わってしまった。まだ、ほのかにタオルの温もりが残っている。
「ナチュメな感じで控えめに素材生かした感じにしたんだけどー」
　温もりを惜しみながら、ゆっくり、ゆっくり、と久雨は目を開けた。
「ど？　メイクで新しい自分見た気分は」
「……これが、私か？」
　思わず飛び出た言葉は、やはり本心の本心だった。
　頬は自然な赤みが差し、瞼は腫れぼったくならない程度にかすかなかすかな色が乗っている。化粧をしていないと言われれば納得してしまうような仕上がりでありながら、ほんのわずかな婀娜っぽさと、ほんのささやかな柔らかさのある顔に変わっていた。
「感謝する」
　そう言うとくすぐったそうに、心底嬉しそうに紗姫は微笑んだ。対し久雨は軽くなった髪と表情を見つめ、胸の奥がきゅっと締まるような感覚に襲われる。
（私は……これで、大人に見えるだろうか）
　見れば見るほど大人になれた気がする。
（ああ。これで中身が追い付けば良いのだがな）
　考えれば考えるほど大人ではない本来の自分が浮かび上がってくる。
「またきてよー」
　紗姫が声をかけてくれたのは、思考の底なし沼に沈みそうなまさにそのときだった。
「あたし、ここ土日に入ってるし。ヘアセットとかメイクとかもちょこちょこやらせてもらってるから」
「ああ、またよろしく頼む」
　本当にまたがあるかどうかはわからないが、清々しい気分で久雨は店を後にした。
（……ん？）
　その瞬間、店の前にいる人々の視線が久雨に集まった。ような気がした。
（……落ち着け私、気のせいだ）
　わかっているのに、なんだかどうも落ち着かない。人々の視線から逃げるように振り返ると、Gatto Biancoの入っているビルが目に入った。
（そういえば先輩が二階にはファッションショップが入っていると言っていたな……）
　しばし悩んでから、久雨は再び白い建物に足を踏み入れる。
（ついでに服屋にでも寄ってみようか）