――キャットアイランド、chトラ。
　直樹たちも記念樹公園に集まっていた。
　地面に突き刺さったねこでんは、マヌカノイドたちの手によってカブのように引っこ抜かれ、跡には大きな穴が開いている。
　幸い、同乗していたアバターたちも無事だ。

「……て……助けて！　お願い、ここから出して……！！」

　大穴が開いた時、多くの利用者が助けを呼ぶ女の子のものらしき声を聞いたという。
　声はすぐに収まり、殆どのアバターたちは「何だったんだろう？」と首を傾げて終わったようだけれど。
「マヌカノイドたちは、この声を聞いていたのね」
　Mystiqueの声は沈んでいた。現実世界で母と連絡が取れないのだという。
「刀くんにも連絡してみたけど……ダメね」
　その状況に、もしやと思うもれいびもいるようだ。
　ねこでんに乗っていたマヌカノイドの殆どは、呼び声に答えて大穴に突入してしまった。
「なに、これ」
　大穴を覗いた直樹は顔をしかめた。
　洞窟のようだが、緑の陰影は生物のようにも無機物のようにも見え、なんだか気持ち悪い。
「エリア名は『Evergreen』、サバイバルモードで、変なスライムみたいな奴が徘徊してる」
　潜入した理想学園の面々から報告された内容を纏め、エスカルゴが告げた。
「こんなエリア、作った覚え……設定が変更出来ない！？」
　浮かんだパネルを操作していた直樹の表情が曇る。
「N-cat氏に制御出来ないって事は、向こうはキャットアイランドの領域じゃないのかも知れないなぁ」
「……そうだね。うちのサーバーとは違うみたい。でも、どうしたら」
　歯噛みする直樹に、一応手立ては見付かったとエスカルゴが言う。
「中に入ちゃったマヌカノイドはスライム状の奴にどんどん壊されちゃってるんだけど、学園の子が作ってたコレが使えるみたいでさ」
「指輪？」
「えーと、形は色々変えられるんだけど、サバイバル設定のダンジョンでRPGやる為のHUDだよ」
　HUD……こういった媒体では、装着すると特定の情報が視野に表示されるシステム、またその機能を持ったアイテムを指す。
　ゲームなどに使用するものは、更に装着者に固有のパラメータを与えたりする効果もある。
「テスト段階だけど、攻撃も効くみたいだしパーティも組めるし、一回殴られて追い返されるよりずっと良いと思うんだ」
　キャットアイランドの元々の設定では、アバターが危険な状態になるとすぐにホーム地点に戻されるようになっているが、このアイテムを使うとRPGのようにHPというパラメータも持つことが出来るらしい。
「バックアップさえあれば、壊されたマヌカノイドも復元する事は可能よ」
　自我がある場合、それがどうなってしまうかは未知数だけれど、とMystiqueは言う。
「マヌカノイドや、彼らが行動を起こした要因を放って空間を閉じてしまう訳にもいかないし……やるしかないか。みんな、協力してくれる？」
　直樹が考えを纏めたところに、少年たちに連れられてアーティが姿を現した。

「わたし……あのモンスターがどんな力を持っているか、分かるみたいです」
「本当か！」
　潜入した面々が転送してきた映像を見たアーティの言葉に、彼らは驚く。
「後は、どれくらい耐久力があるかとか……相手が近付いてきたのを感知する事も出来そうですね。多分、わたしのように自我というものを持ったマヌカノイドは、同じことが出来ると思います」
　どうやら大穴に突入しない意思を持ち、残っていたマヌカノイドたちにはその資質がありそうだった。
「このまま行っても、きっとみんなやられちゃうと思ったんですニャ」
「皆さん、ボクたちを役立ててくださいニャー」
　神田ちゃんにジト目で睨まれながらも、猫車掌と運転手が頭を下げる。
　マヌカノイドの殆どは戦闘能力を持たないが、自我を持った者をパーティに組み込む事で、敵のアナライズと近距離の探知をメンバーに伝えられるよう、HUDに即席の改造が施された。
「みんな一旦ここをホーム指定してくれるかな？　モンスターが外へ出ないようにっていうのと、何も知らないアバターさんがうっかり入って来ないように、ここは他のエリアと切り離しておくから。
　あと、スタック……アバターが何かにはまって動けなくなったりした時は、こっち側からサルベージ出来るみたい。出来る事は限られてるけど、僕と神田ちゃんが全力でサポートさせて貰うね」
　直樹は記念樹公園側に残り、サポートとこちら側の監視を担う事になった。
「それにしても……あの変なモンスターは何なんだろう」
　送られてきた映像を見ると、緑掛かった粘体のようなモンスターは、メタリックな風合いでスライムというよりは流体金属のようだ。
　移動中は不定形で蠢いているが、攻撃などの行動を起こす時にそれぞれある種の動物に似た姿に変化する。
　肉食獣なら爪や牙を武器に、鳥型ならその時だけ飛翔して滑空の勢いで攻撃してきたり。
　草食動物は逃げ足が速く、妙な効果を持つ念波を放ってくるので別の意味で厄介そうだ。
「自然に発生するようには思えないけど」
「アレは『なりそこない』さ」
「なりそこない？　何かになろうとした？　それとも……」
「さあね。形あるもの、命あるもの……どうあれ、そういったモノを強く憎んでいるんだ。尤も、キミたちとあのお人形さんたちの区別も付かないみたいだけれど。ま、気を付けなよ」
「神木？」
「……え？」
「誰と話していたんだ」
　独り言を呟く直樹を見て、深雪が怪訝そうな顔をしていた。
「誰って……あれ？」
　直樹はきょろきょろと皆の顔を見回した。
　てっきり周囲の誰かと話しているつもりだったらしい。
「おかしいな……でも、とにかく」
　直樹は自分が耳にしたことを皆に話した。
　高のトーンは高いが、どちらかというと男の子のようだったという。
　不可解な情報源に、修は考え込む。
（他にも何者かの意思が関わっている……？）
　ともあれ先行した理想学園の面々は苦戦していて、一度撤収する事が決まった。
　彼らが戻ってきた時、それが本格的な作戦が始まる合図だ。



　――PM16:55頃、『分断された寝子島』桜台の三浦邸。
　重力に反して浮かぶリサちゃん人形は、真由美の母親に襲い掛かった。
　この人形だけじゃない。
　何処からか飛来してきた膨大な数の人形やぬいぐるみが、それぞれ真由美を守るように、母を攻撃するようにと分かれていく。
「え……きゃあぁッ」
　悲鳴は途中からくぐもった音に変わる。
「拙い！」
　迷う暇もなくシグレは植え込みを飛び越え、分厚く彼女を覆う人形の中に突っ込んだ。

「――っ！」
　何か大きな力に弾き飛ばされた月は、自分の肉体で意識を取り戻した。
　人形に憑依した時に隣にいたシグレは、と目で探した直後、女性を抱えたシグレが人形の群れから飛び出してきた。
　女性は顔や手足に殴打の跡が見られ、シグレ自身も軽い打撲を負ったようだ。
　人形たちに守られた真由美がその姿を見留め、濡れた目を見開く。
「……あ、ぁ……」
　こんなはずじゃなかったのに。
　少女が驚愕している間にも、掌の小鳥は波状に力を奔流させ続けていた。
　動揺や恐怖、悔いを読み取ったかのように、人形たちは彼女を家の中に運び込む。
　シグレの逃げ足のせいか、深追いを諦めた人形たちも彼らの後を追った。
　女性を連れ、二人は近くの月極駐車場に飛び込んだ。
　まだ帰宅していない車が多いのか、ほんの数台置かれた車の陰に滑り込む。
「ご無事ですか、シグレさん」
「俺はたいしたことはないが、ご婦人が」
　真由美の母も、外傷はそこまで酷くなさそうだが、襲われたショックかぐったりしている。
　月は手当てを施す間に、先ほど間近で見た母子の遣り取りと、自ら浴びた少女の想いをシグレに話した。
「失礼ですが、ご婦人はあの少女のお母様では？」
　女性の唇が震えた。
「あの子は……春に施設から引き取った子なんです。ずっと子供が出来なくて……きっとあの子が、私が待ち望んでいた女の子だと思っていました……」
　引き取るまでに何度も面会を重ね、相性なども確認したのだと。
「すぐに本当の親子になれるなんて、甘い事は思っていなかった……時間を掛けて少しずつ、環境にも、私たち夫婦にも慣れていってくれたらと……」
　でも、ダメだった。
　彼女――三浦 なつめの瞼が濡れる。
「真由美の本当のお母さんは、旦那さんを亡くして身寄りもなく、ひとりであの子を育てようとして……あまり丈夫じゃないのに無理をして亡くなったそうです。あの子がまだ3つの頃に仕事先で倒れて、病院に運ばれてそのまま……。それで真由美は、託児施設から当時のお家へ帰ることなく、最終的に私たちと出会った施設に回ってきたんだそうです」
　誰かに聞いて欲しかったのか、なつめは堰を切ったように事情を話した。
「元々笑顔の少ない子だったけど、最近前より減っている気はしていました。ここでの生活に馴染めなかったのかも……」
　言葉が途切れ、両手で覆った顔から嗚咽が漏れた。
「そういえば、黒い羽根と仰っていましたが……娘さんがお持ちだったのですか？」
「ええ……」
「他に、違う色の小鳥などは？」
「……？」
　なつめの反応に、シグレはかぶりを振った。
　恐らく、ひとともれいびには見えているものが違っていたのだ。
　彼女は思い遣りから野鳥の羽根を手放すよう言ったのに、真由美には弱っている小鳥を捨てろと聞こえてしまい、暴走の引き金となったのだろう。
「なんて事だ」
　天を仰ぐシグレの背後に、灰毛の猫が現れた。
『面倒な奴らだぜ』
　天吏も道の方からゆっくりと姿を現し、様子を眺めている。
「これはどういう事なんだ……？　あの鳥はひとには黒い羽根に見えるのか」
『あの鳥は元々、この世界には存在し得ねぇ。てめえらが遊んでるキャットなんたらって異界からこっちに来ちまった、実体を持たない幽霊みてぇなもんだ。神魂の力に翻弄されてあのクソガラスの羽根を依代がわりにしちまうなんて、数奇っちゃ数奇だが……てめえらン中でも、霊感とかなんとかある奴は見られるんじゃねぇか？　あの鳥が腹に黒い羽根を抱えてんのは』
「……カラス？」
　天吏が小さく呟く。
『文明の利器……か、便利なんだか不便なんだか。あの鳥は飛び交ってる見えねぇ電波を通じてそのなんたらと中途半端に繋がりを持って、一部の情報をイビツに歪めてあのガキ経由でばら撒いてたんだ。無意識にな』
「まさかハッキング……という事か？」
　鳥が？　シグレは小鳥の姿と墓地の奥に佇んでいた人形たちを交互に思い出し、訝る。
『んな事ぁ知るか、オレに聞くんじゃねぇ。ま、こっちの世界に閉じ込めてる今なら、キャットなんたらも本来の状態に戻ってるかもな』
「まだ話は終わっていないだろう」
　言うだけ言って既に去る体のテオを、彼は止めた。
『へっ、別にてめえらは何もしなくても、待ってるだけで終わるぜ』
「何……？」
　月も眉根を寄せる。
『アレに影響を与えている神魂は、ものの記憶や情報を再現する類みてぇだ。ま、腐っても神の力なんざそのまま再現しきれる訳ねぇから、出来るのはろっこんの力を増幅させるくらいだがな。あのガキは無意識にその力を利用して、鳥の方もあのガキの力を利用してたってワケだ』
　シグレの頭に、キャットアイランドのマヌカノイドの存在が浮かぶ。
「こちらから人形が向こうに行ったのではなく、向こうから出てきてしまった存在が原因とはな……」
　そして、マヌカノイドたちの不具合にあの小鳥が関係しているのならば、今仮想世界でも何事か起きているという可能性にも思い至る。
『だがそれにも限度がある。使う度に力を放出して、いずれあの存在自体が消えちまうだろうさ。今回のが最後……持って3、4時間くらいなんじゃねぇか』
「助ける方法は、ないの？」
　首を傾げて天吏は聞いた。
　彼女にとっての価値基準の中で、一番低い位置にいる猫に聞いた。
「『知らねぇな』」
　答えは、彼女の口から出た。
『……』
　猫は不機嫌そうだ。
『あらぁ～ん、テオくん。女の子にそんなすげない言い方ないじゃなぁ～い？』
「「！！」」
　頭の中に別の声が響く。
　いつからだろう？　隣の敷地の木の枝に、そのカラスはいた。
「あ……」
　見上げて姿を確認した天吏が、仄かに嬉しそうな顔をする。
『チッ、うぜぇ……』
　テオは益々機嫌を損ねたようだ。
『始めから私が聞いてるって分かってて、クソガラスとか言ってたんでしょ～ぉ？　ウフフ、カ～ワイイんだからぁ～♪』
　駐車場と敷地を分ける塀に飛び移りって。
『ちょっと前に変わった小鳥ちゃんだなぁ～って思って見てたら、私にぶつかってきたのよね～ぇ。その時消えちゃったのかと思ってたんだけど～ぉ。面白い事もあるものよね～ぇ』
　カラスはあだっぽく首を傾いで見せた。
『あの小鳥ちゃんを助けたいのねぇ？　あの子のだぁ～いじなお友達みたいだものね～ぇ』
　私たちみたいに、ね。
『おい、余計な事を吹き込むな』
『多分、あの子と物理的に引き離せば、ひとまず力の放出は止まるわぁ～。それに』
　テオの制止は意に介さず、カラスは続ける。
『この世のものじゃないっていうならぁ、元の世界に戻してあげたら良いんじゃないの～ぉ？』
　声を潜めるように囁いて、黒い翼を広げた。
『じゃあ、頑張ってねぇ～ん』
　羽音はすぐに遠ざかっていく。
『……チッ』
　テオも舌打ちしてさっさと何処かに行ってしまった。



　世界を隔てて、二つの戦いが始まろうとしていた。

CI@SP Ep1-1 end.