●２日目：英語その２


　サイコロ鉛筆。
　その歴史はいつからはじまったのだろう。父や母の時代にはすでにあったし、もしかしたらお爺ちゃんやお婆ちゃんの時代にもあったのかもしれない。
　それは六角鉛筆のお尻の部分を削って各面に１～６の数字を書き込んだもの。たったそれだけで鉛筆は、解けない選択問題の答えを神に問う道具に進化する。あとはこれを、サイコロのように転がすだけだ。
　野々 ののこはとても楽しそうに、テスト中にサイコロ鉛筆で神頼みというフツウを満喫していた！

　神頼みしたい気持ちはわかるな、と桜井 ラッセルは思った。
　今日のテスト、美術はどんとこいだし、社会も暗記や連想でいけそうだったが、英語は大嫌いだった。これまではテストというと、問題を見てとりあえず文章で書くところは飛ばし、二択問題やヤマ勘を駆使して……わりと撃沈してきた歴史がある。
　だが今回は、自分に変化を感じていた。
（八神ゼミナールとか塾でちょっとずつわかるようになってきたんだ。いままでよりいける、……と思う）
　成績優秀な八神 修氏を囲んでの勉強会――八神ゼミナール。あのとき一緒に勉強した仲間たちのお蔭で、いままでより頑張れそうな気がする。

　コロコロ、コロコロ。

　ののこがまた鉛筆を転がしている。ラッセルはくすっと笑って心の中でエールを送った。
（ののー、がんばれよ！）
　ところが、鉛筆を転がす音はひとつではなくて。
　
　コロン、コロン。

（って、天馬も）
　目が合ったのは、腕まくりをした女友達、天馬 ひびきだ。
　「何かがわかる」って楽しい――中間テスト以降、ひびきはそんな発見をした。もっとも移り気な好奇心ゆえに、国語をしていたはずが教科書に出てきた偉人の伝記小説を読んでいたり……たまに数学していたら寝ちゃってたりもするのだが。
　そんなひびきは胸の中で、友人であるペガサスのぬいぐるみに語りかけた。
（はやぶさ。頑張るよって誓ったけど、わかんない問題いっぱいあるの。どうしよう）
　彼女の問いに答えてくれたのは、意外にも、コロコロという音だった。
（そっか選択問題は神様に聞くのね。私も私も！）
　ののこの鉛筆の音に合わせて、コロンコロン。
（楽しいっ！　音も可愛いし！　まるで合奏みたい！）
　ラッセルがエールと苦笑いが半々に混じった表情で軽く手を振ると、ひびきも手を振り返す。
　すると――！

　コロリン。

　３つめの音がした。振り向くと、音の主はまたしてもラッセルの友人だ。
　ラッセルはこれにも笑みを漏らした。
（後木らしいや）
　友人――後木 真央は、鼻息荒く、可愛いレトロねこ柄の六角鉛筆を転がしている。
（今日の真央ちゃんをなめんなし！　鉛筆は食キング心の師匠な神野文房具店で買ったし！　落神神社と寝子島神社とネコ一杯な神社を参拝して『良い点取れますように』って霊験まで込めたし！　気合も神頼みもバッチリなのだ！）
　お賽銭は１０円ずつしかいれてないけど。
（これぞ『人事を尽くして天命を待つ』」というやつなのだっ！）
　嗚呼。見えるようだ。真央がお参りした神社の神様たちが一斉に「それは違う」と首を振る姿が。

　コロコロコロコロ。
　コロン、コロン。
　コロリン、コロリン。

　三人の鉛筆が、妙なるハーモニーを奏ではじめる。
　そこに、鷹取 洋二の貧乏揺すりが加わる。

　カタカタカタカタ……。
　コロコロコロコロ♪
　コロンコロンコロコロン♪
　コロリンコロコロ、コロリンリン♪

　ラッセルは、心地よくこのＢＧＭに耳を傾ける。
　旋律はやがて、生徒たちにとって耳馴染んだものになっていった。
（この曲は……ま、まさか！？）

　コロコロ＆カタカタカルテットは、いつしか寝子島高校校歌を奏でていたのだ！！

　♪　陽光そそぐ学び舎に
　　　我らを育む 寝子ヶ浜の風
　　　また旅人が耳を澄ませば
　　　波音安らかに聞こえん
　　　自由な日々（ねこじまメモリーズ）寝子島高校　寝子島高校

　ひびきはここに、オリジナルの歌詞をのせて歌う。胸の中で。
（♪　がんばろーがんばろー。
　これが終われば夏休み。海が待ってる夏休みー。
　開くぜー超ー開くぜ、海・開・きー♪）

　無言を貫く雪 莉沙は、集中という名のバリアを強化し、音楽の侵入を防ぐ。
　だが、１５分の集中が切れた鬼崎 あやめは、いまにも鉛筆をぼっきり折りそうだった。
（クッ！　テストじゃなきゃ！　今すぐろっこんで魅了してやめさせるのに！　万が一赤点を取ったらどうしてくれるんですか！　いやー！？　補習も追試もいやー！　フジコ先生は勘忍してー！）

　――そのとき。

「静かにしろ！！」

　みんなの危機を救ったのは、桐島先生の一喝だった。
　講堂は途端にしん……となる。
　これで終わりとは思えないけれど、ひとまず英語の危機は去った――のかもしれない。

　先生の目を盗んで、また鉛筆を振ろうとした真央の表情が変わった！
（これは！？　最終奥義・鉛筆コロコロ☆を封殺する全訳、なのだ！？）

　一方、ひびきも。
（選択問題じゃないのは、どうしたらいいのかな？）

　そこからの真央は下り坂まっさかさまだった。
「わ、分がんないのだ～」
　顔を真っ赤にして本気で半べそをかき、鼻水までズルズルと垂れてくる始末。
「折角勉強したのだ赤点やなのだ夏休み合宿行きたいのだ～」
　気配を察し、ラッセルがエールを送る。
（後木、思い出せ！　八神が教えてくれたことを！）
　ラッセルの脳裏に、八神ゼミナールで一緒に英語を学んだ日のことがまざまざと蘇る。
　真央もそれを思い出したのか、ぐずぐず鼻をすすりながら答えを書き始めた。

　そしてひびきは。
（あとは全部ｔｏで埋めちゃえ。ｔｏ入れとけば何か当たるかもだもん）

　――ここだけの話だが、こんなふたりが、英語は結構いい点取っちゃうのだから、人生ってわからないものである。なんだかんだで、勉強の成果が出たってことなのかもしれない。




（あれ……？　これでいいよな？　いや、○×問題以外も解いたし、前に比べたらすっげー進歩だって、うん）
　辛うじて埋まった用紙を手に、ラッセルは遠くを見る。
（……八神に立井に遠矢、うまくやってっかな……）