天地夏冬雪と墨｜リアクション

天地夏冬雪と墨

【いえないふたり（２）】

　先輩はあいもかわらず凛々しくて、一本気がとおっていて、揺るぎなき存在だと琉歌の目には映りました。あの頃のまま……陸上部の目標とすべき先達であった頃の。ううん、それよりももっと素敵！
　彼女の前だと琉歌の胸は、弾むよう。語りかけてもらえると、心が明るくなるような気がします。誰彼と甘やかしてくれるような包容力ではなく、時に厳しく突き放しても自分を奮い立たせようとしてくれる。自分にも他人にも一貫するこの高潔さが、莉鳥に引き付けられる理由のひとつなのだと琉歌は思います。
「あら、いい雰囲気」
「でしょ？　前から気になってたんです」
　そんな莉鳥先輩と、ちょっぴりお茶でもしたかった、というのは本当のところ。旧市街のやや奥まった路地にてひっそりと営業中な老舗和菓子店、『雪夜花』へ誘ったのは、街で一瞬すれちがったのみでこの邂逅を終わらせたくなくて、もっと彼女とふれあいたくて。琉歌の素直な気持ちからです。
「銘菓『雪夜花』。美味しそうね」
「クラスでちょっと話題になってたんですよ。これが絶品！　って。食べてみましょう」
「ええ。いただきます」
「いただきまーす！」
　純白のお餅はもちもち、けれど歯切れがよくて軽やかな食感です。餡はさっぱりとした甘さでこれまた軽妙、後を引かず、いくらでも食べられてしまいそう。
　あたたかな店内でゆったり、まったり。莉鳥先輩とふたりきり。口数少ない彼女とも、ぽんぽんと話は弾みました。
「先輩は大学、どうですか？　キャンパスライフ、満喫してますか？」
「そんなに浮ついたものじゃないけれど。まあ、楽しんでやっているわよ。自分で選んだことだしね」
「そっかあ。先輩はすごいなあ……」
　と。琉歌の口からこぼれたそんな言葉は、無意識によるものでした。あるいは琉歌の潜在意識では、そうとは考えもしないうち、望んでいたのかもしれません。
「中倉さんも来年は３年生よね。進路はどうするの？　なにか考えてる？」
　莉鳥がそうたずねてくれることを。
　もっとも、琉歌の顔はちょっぴり、くしゃりと曇りました。
「……えっと。聞かれたくないことだったかしら？」
「どう、でしょうね。聞かれたくなかったかも。でも、先輩に聞いてほしかったのかも。私……」
「中倉さん……？」
　しばしの沈黙が、ふたりの間へと横たわりました。琉歌は白いお餅をぱくり。ゆっくりと時間をかけて、味わって食べると、
「その。私」
　少しばかり落ち着いた心で、口にしました。
「私は、マタ大に行きたいんです」
「そうなの？　いいんじゃないかしら」
「でも私は……先輩ほど頭がよくないですから。薬学部はムリ……かも」
　すべてを言葉にはせず。薬学部は、莉鳥の通う学科です。ちょっぴり婉曲にして伝えるのが、いまの琉歌のせいいっぱいでした。どうしてでしょう。あのときは衝動的に、唇まで重ねてしまったというのに。
　それでも、伝えることには意味がある。そう思います。彼女にウソをつくのは、なんだか胸が痛むから。
「だから入れても、文系かな」
「……そう、ね。あなたはそちらのほうが得意だったかしら」
「はい、でも……反対されてて」
「反対？　誰に？」
「親は地元の大学に通ってほしいって思ってるみたいで。お店、継がせたいのかな。それとも安心したいだけかも」
　琉歌の地元の長野県で、両親は老舗の旅館を営んでいます。理由はさておき、琉歌には手の届く範囲にいてほしいと望まれているようなのです。
　自身の心と、家族の願いとの板挟み。琉歌は惑いの中にある自身の思いを、ぽつり、ぽつりと吐露します。
「そうね……」
　しばし考えて、莉鳥はどこか物憂げに窓の外を眺めながらに、言いました。
「当たり前のことだけれど、決めるのは中倉さん、あなた自身だわ。私にはなにも言えない」
「なにも。ですか」
　特に答えを期待していたわけではありません。そこまで求められるような間柄だとも思いません、少なくとも今はまだ。
　けれど。莉鳥は琉歌へと視線を戻して、まっすぐに見つめて……そしてふわりと、顔をほころばせました。
「ふ。あなたとマタ大のキャンパスを歩くのは、悪くないかもね」

　それきり、なんとはなしにふたり、話題は進路の話から逸れてたあいのない話へと移っていきましたけれど。
（ふたりでキャンパスを。かあ……）
　この先の道がどこへつながっているのか、まだ琉歌にも分かりません。どこを目指しているのか、どこへいけば自分の心を納得させられるのか……それでも、少なくとも胸にずしりとのしかかる重みはいくらか、ふんわり。軽くなったような気がしました。

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天地夏冬雪と墨

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