ムーンライツ・ブルームーン｜リアクション

ムーンライツ・ブルームーン

　青ざめた空の主は月だった。彼女は天上にあって凛として揺らぐことなく、煌々と地を照らし続けていたがしかしその輝きは、人間にとっていささか刺激が過ぎるらしい。朝鳥さゆるも手のひらをかざして落とす影を通してそれを見上げた。時に人は彼女をまさしく女神のごとく例えてきたが、かの月は今夜あまりにも深い蒼にその身を染めていて、美しさにもましてどこかおぞましく秘められた何かを予感させた。
「何だか変な夜ねぇ」
　振り向き「ね？」と同意を求めた姫木じゅんの頬も青く染まる。さゆる自身の顔もそうだろう。寝子島の全てを青く染め上げようとでもいうのか。
「月の明かりって、人を惑わせるものがあるよね」
　とじゅんが言った。もちろん「何て言ったっけ、あのアニメのあのシーンじゃさぁ」と添えながら。古来より人は月を特別視してきた。物語の中にあっては特にそうだ。多くのアニメやらライトノベルやらを鑑賞してきたじゅんの曰く、月が異相を示す今夜のような場面では狂気に陥りがちなのだという。人間の秘めた本性が具に露呈されたり、ほの暗い闇の世界から訪れた眷属がその姿を現したり、色めく空がめくれあがり隠されたもう一つの世界が垣間見えたりするのだとか。いまやそんなシーンをじゅんと共に鑑賞するに至ったさゆるにもいくつかの覚えがあった。はてあれは何という作品だっただろうか。
「あれ？」
「どうしたの、じゅん」
「何か、月が」
「……月が。青く、光って……？」
　砕けた宝石の砕片が浴びる光を乱反射させるかのように、二人は互いまでも青く光を纏っていることに気が付いた。

　深海めいた夜の街を二人、軽やかに跳ねるように駆ける。

　いつしかその装いは街の意匠にふさわしいものと変じ、スカートの裾を翻し軽やかに大通りを行く。
　ここは寝子島か。はたまた月影の導くままに別のどこかへと迷い込んだのだろうか。見慣れた街並みに思えて店々はやけに流麗な筆致の異文字を看板に掲げ、空には重厚にして壮麗な鐘の音が鳴り響く。山裾へ続く道の先には青い月を背に建つ古城があり、二人の足取りはどうやらそこへ向いていた。
「どうしてかしら？　あそこへ行かなきゃいけないって気がするのよね」
「あたしも……とりあえず、行ってみる？」
　こくり頷き整然と舗装されたタイルの上を歩む。ヒールの先がこつこつとリズムを刻み、楽団の奏でる格式高いバロック音楽が複雑精緻に絡み合う。街の全てを一つのオーケストラと見立てたかのようだ。
　いや。
「この街、人がいない……？」
「ううん、見て。あれ、あそこ」
「あれは……人形？」
　これはギニョルだ。早贄のごとく串刺しにされた人形。四肢をばらばらに砕かれた人形。服毒しはらわたをぶちまけたかのようにネジや歯車を散らす人形。股を引き裂く拷問を受ける人形……両端で足を引っ張るのもまた人形だ。
　がしゃりがしゃりと耳障りはさゆるとじゅんの背後からやってきた一団の下肢が鳴らすものだった。人形たちは調子の狂った機械のように歪な動きを晒し、古城を目指して緩やかな坂道を登ってゆく。ここでは全てが人形によって演じられるのだ。蒙昧な市民を、居丈高な役人を、陰湿な審問官を、青き月の下に人形たちは飽くことなく演じ続けるのだ。
「何か、やばい気がしない？　さゆる」
「ええ。このままだとあたしたちも……」
　幸いまだ流れを逸する理性は残っていたらしい。二人は己らもまた人形となるを良しとせず流れから飛び出すと逆走を開始した。途端に人形たちが軋みながらこちらを睨み、歪な格好のまま彼女らを追い始める。
「やばいやばい、やばい！　あはは！」
「ええ。でも何だか……悪くないわ。こういうのも」
「あたしたちも、月に狂っているのかもね」
　かちりと音を立てて二人は夜闇を飛び上がる。屋根の上を跳ね、青の月光を存分に浴びるとさゆるの胸元から、じゅんの伸ばした手から歯車やネジ、ボルトに覆われてゆく。そのまま跳躍しくるりくるりと回りながら古城の上まで飛び上がると、月を背に二体の人形はキスをした。
　彼女らの示した反逆の意思はやがて数多の人形たちへも宿り、陰惨なグラン・ギニョルへ終幕を降ろすべく軋みの合奏を鳴らす。さゆるとじゅんはその象徴となっていつまでも、蒼月の下に踊り続けた。

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