ムーンライツ・ブルームーン｜リアクション

ムーンライツ・ブルームーン

「過ごしやすい季節になってきたねぇ。修クン」
「ああ。そうだな」
「少し前まで、すっごく寝苦しかったもんね。少しずつ涼しくなってきて、あ～、ようやくあの暑さから解放されるよ～」
「ようやく秋が近づいてきたね。いい季節だよ」
　八神修は窓際に腰かけそよぐ風に目を細む彼女を見つめた。彼の発する言葉は彼女へと向いているが半ばそれはつぶやきのようだった。
　修の部屋で夏の間、共に時を過ごす。恋人達の楽しみだ。ゴージャスでラグジュアリーなバカンスには比べるべくもないが互いの存在があればそれに勝るとも劣らない幸福は得られた。
「…………」
「どうかした？　修クン。何か元気無いね。風邪でも引いた？」
「いや。何でもないよ、少し考え事をしてただけ」
「そう？　ああ、それにしてもいい風だなぁ」
　月は何故だか青いが良き夜だ。にも拘らず修の面持ちがいささか沈みがちであるのにはれっきとした理由があるのだ。
「月が綺麗だねぇ。修クン？」
　悪戯ぽく笑む彼女が七夜あおいその人であったなら勿論、この瞬間も修の胸は弾むことだろう。
「ああ。そうだな」

　返す言にはあまり気の乗らない響きも滲んだが、それでも彼女は嬉しそうに尾を振り登場に伸びる二つの耳をぴくりと震わせた。
　青い月が輝くと同時、彼女は修の下を訪れた。まるで何食わぬ顔、己こそがあおいであると信じて疑わぬそぶりだった。演じているとも思えない。あおい'（ダッシュ）とでも呼ぶべきか、と修はつまらぬことを心内に考えた。
　例えば世の無数の物語が示すように、満月の夜にはそれこそ物語めいて奇妙なことが起こり得るものだ。今夜の月光の青さともなれば無理もあるまい。などと納得してしまうのは都内へ移住してもなお捨てきれず薄れぬ寝子島への郷土愛が故にであろうか。この島においては往々にしてこのようなことを経験してきた修である。もはや逐一動じることもない。
　とはいえ心配事は、あおい'ではない本来のあおいもまたどこかに存在しているのではないか、ということだ。
　からんと鳴った。あおい……いや、あおい'の差し出したカップの中で氷が揺れる音だった。
「やっぱり元気ないね」
「いや……そうだな。ああ、麦茶か。ありがとう」
　いくらか涼やかとなってきたが、まだこうして冷たい茶を注いだガラスが汗をかくくらいがちょうどいい。
　麦茶を一口含み、彼女の微笑をじっと見つめる。彼女はしばしぼんやりとテレビの他愛もない番組に目を向けていたが、修の目線に気が付くとにか、と白い歯を見せた。彼女の口腔に、犬歯がいやに尖って見えた。
　例えばこう考える。彼女とあおいは今夜の青い月により、異なる相を互いに交換されたのではないか。あおい'は修の暮らす相へ。あおいは恐らく、そう、どこか別の……修'の住まう相へと出張っているのではないだろうか。
「……あおい」
「うん？　なぁに、修クン？」
「俺は、どんなやつだ？」
　唐突で脈絡もない問いだった。彼女は訝しげに首を傾け修をしばし見返した。無論修自身について尋ねたのではなく、本来彼女と暮らしているのだろうもう一人の修のことだ。そのような存在がいるのならだが……彼女は数秒の思案の後、訳知り顔で述べた。
「そうだねぇ。優しくて、でも正義感が強くて。勉強熱心で、ちょっとだけ融通が利かなくて。料理上手だけど、少し偏食気味なのが玉に瑕で……」
　聞き入った。修'は近しいようで、少しずつ修とは違っているようだ。もちろんそうだろう。目の前の彼女があおいとは少しずつ異なるように、全く同じ人間など、あらゆる時空を探し尽くしても見つからないに違いない。
　彼女も恐らくそうと気づいたことだろう。ちょっとした喧嘩でもしたのだろうか、始めは今夜の不思議な邂逅に心ときめかせたものの、やはり本来の彼が恋しいに違いない。
「そうか。好き、なんだな」
「うん。とってもね。君は？」
「あおいは俺の理想だよ。文句なんてないさ」
「ほんとかなぁ～？　少しくらいは何かあるでしょ？　気になる癖とか、直して欲しい所とか」
「さて。どうかな。言わないでおくとしようかな」
「あ～っ、ずるい！」
　笑い合う。彼女はあおいではなく恋人とはなれないが、友人付き合いをするならばいかにも賑やかな日常を過ごせそうである。

「ただいま～。いやぁ、暑かったねぇ」
「おかえり。そうかい？　こちらは涼しかったよ」
　ああ本当だと呟いてあおいは相好を崩した。冷たい麦茶を差し出すと、グラスに氷が揺れてかろんと鳴る。きっとどこかで彼女もまた、同じ音を聞いていることだろう。

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