夏の終わり、線香花火｜リアクション

夏の終わり、線香花火

　浮かんでは消えるメモリー

　蜘蛛の巣みたいな火花の影が、耳福池の湖面に映っては消える。
　高校を卒業して、晴れてウォルター・Bと恋人関係となった夏の終わりのこと。
　稲積柚春は寝子島神社のかたわらにある耳福池のほとりで、彼とふたり、線香花火に興じていた。
「ここで線香花火をしてると、なんだかいろんなことを……思い出すねえ」
　ウォルターの声は落ち着いていて、『いろんなこと』がなんなのかにも触れなかったけれど、柚春には思い当たることがあった。
（ワットのこと、まだ『先生』って呼んでたころ……ほおずき市があって一緒に来たことがあったっけ）
　あのとき、こんな噂が流れていた。
　＜透かしほおずきを手に夜の耳福池に立つと、鬼灯がふわりと光を放ち、あかい光が水に宿る。その光が消えるまでの束の間だけ、亡くなったひとと相まみえることが叶うそうだ＞……と。
（あのときワットはきっと、誰かに逢ったんだ……）
　それが誰なのか、柚春はいまでは心当たりがある。
　彼の心の凍った部分が、すこしずつ溶けていくその過程に立ち会ってきたから。

「今、こうして一緒にいられるのは、僕に押し切られたわけでもなくて、ちゃんと好きになってくれたからだった思ってるけど……それって、どんな感じ？」

　ふだんだったらなかなか聞けないそんなことを、ふっと口にしてしまったのは、線香花火の魔力によるものだったかもしれない。ウォルターは、思いがけない問いかけに、ふわっと目を見開いた。それからくるりと青い瞳を天の方へと巡らせて、柚春の質問を反芻してみる。
「どんな感じ……ううん、難しい質問だねえ」
「こうして花火みたいに、火が付いてなくって気づかなかっただけで、輝く素質はあったのかな、とか」
「恋心の話？　輝く素質ねえ……それはそんなになかったかもなぁ。僕はいろんなことが人より簡単に上手くできたほうだと自認しているけれど、それは裏を返せばどれにも夢中になりにくい気質だと思うから……いまこうして一緒にいられるのは、君の努力のたまものなんじゃないかなぁ」
「僕の努力？」
　ウォルターの言葉がすこしだけむつかしくて、柚春はかすかに不安になる。
「僕は今みたいな時間が奇跡というか夢みたいで……だから……こんなこといちいち確認してごめんなんだけど……僕に気を遣って一緒にいてくれるわけじゃないよね？」
「君は不安がり屋さんだねぇ。違うよ。君が僕を変えたってこと。……はい、もう一本やるでしょ？」
　差し出された線香花火を受け取って、もうすこし言葉が続くのかと待ってみたけれど、ウォルターはさっさと花火に火をつけて、君もしないの、と、とくに何事もないかのように首を傾げるだけなのだ。
「ねえワット。今ってこの花火みたいに、胸の中でパチパチ弾けて愛おしいような気持ち、ある？」
「さあどうでしょう……あ、ほら、そんな揺らしてたら落ちちゃうよ？」
「ちょ、ちゃんと答えてってば」
　池の中に線香花火の玉が落ちて、じゅっと微かな音を立てて消えた次の瞬間。
　柚春はウォルターを押し倒していた。
「……危ないよぉ」
「いやだった？」
「それがねぇ……いやじゃないんだよねえ」
　柚春の影がゆっくりと動き、月が姿を現すのを、ウォルターは目を開いたまま見ていた。
　口づけし、彼の胸元に頭を預けて、柚春はそっと瞼を閉じる。
「じっくりじっくり輝いて、思い出に残して、また次の約束をしなくても自然と一緒にいられる……そんなふたりでいたいな」
　あらためて――ちゃんと恋人になった夏に、そう思う。
　ウォルターはそんな柚春の髪をやさしくやさしく梳いていた。

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