Tomorrow never knows｜リアクション

Tomorrow never knows

　持参したクリアファイルに、もらいたての住民票をしまう。
　それを大型の封筒に入れ、さらに封筒を肩掛け鞄に収めて、しっかりチャックまで下ろした。
「これで大丈夫っ、と」
　独り言をこぼした拍子に、近くで控えていた初老の警備員と目が合う。じっと見られていることに気づき、風の精晴月はうすく頬を染めた。
　がば、と鞄を両手でつかんで前に突き出し、にっこりと示す。

　
「これだけちゃんとしてて傘もさしたら、濡れたりしないよね？　ね？」
　警備員は笑ってうなずくと、「あ、そうだ」と言って詰所に戻り、ビニールカバーを手に現れた。晴月の鞄にカバーをかけてくれる。
「これで完璧」
「おじさんありがとー！」
　晴月はぱっと手を振り、意気揚々と町役場の受付をあとにした。
　赤い傘に緑の長靴、白いワンピース。その脇には、ビニールカバーをかけてもらった大事な鞄、まるで雨に立ち向かう準備万端の兵隊さんのようだ。
　雨に立ち向かうべくえいやと外に踏み出した晴月だがすぐに、肩透かしを食らったように立ち止まった。
　雨はもう、跡形もなく去っていたのだ。
　ぐっしょり濡れた街並みだけが、つい先ほどまでの降りしきりを物語っている。
「なんだー。やんでるじゃない」
　思わず声が大きくなり、道すがら赤ん坊を抱いた母親がぎょっと振り返った。
　晴月は「さ、さっさと帰ろ～」と照れ隠しのように言い、傘をぶらぶらさせて歩き出した。目指すのは、ついに書類上も晴れて正式に認められた『ラッセルと私のおうち』だ。
　以前の晴月だったら、飛んで帰ったことだろう。文字通りの意味で。妖精だったのだから。
　だが人間、八幡かなえにそんな力はない。ただ歩くだけだ。
　水たまりをわざと踏み、バシャッと跳ねる雫に笑顔を見せる。
　行き交う車のタイヤが、アスファルトにまだらの水しぶきを散らしていった。
　晴月は足取りも軽く進む。先月のしまい忘れだろうか、背後には、濡れそぼったカラフルな鯉のぼりが絡まるように垂れ下がり、空に泳げぬままうなだれている。
　角を曲がるたびに、雨の置き土産が現れる。
　公園のブランコの座面には、透明な水がたまりきり、誰も座ることを許さない。
　カフェの軒下に吊られた紙のランタンは湿気を吸い、色が褪せてよれよれになっていた。
　道端の家の軒先に、ずぶ濡れになったてるてる坊主が、無言のまま風に揺れている。
　電線にひっかかったビニール袋が風にあおられ、陸に上がった魚のようにばたついていた。
　やがてマンションの外観が見えてきた。エントランスのガラス扉を押し開けると、湿った空気と冷たい石の匂いが迎えてくれた。
　ようやく辿り着いた部屋の前、番号のプレートを見上げて深呼吸し、傘の水滴をぱさぱさと振り落とす。
　晴月は鞄をかかえ直し、サイドポケットに手を突っ込んで鍵を探した。ごそごそ、じゃらじゃらする。
「あった」
　鍵穴に差し込んで、けれども小首をかしげた。
「開いてる……？　かけ忘れたっけ」
　いぶかしみつつドアを押し開けた、その瞬間。
　ぱんっ！　ぱぱぱぱーん！！
　破裂音に重なるように、無数の光の粒が宙を舞った。
　赤や青、金や銀の紙片が、風にほどけた花びらのように降りそそぐ。
「サプラ～～イズ！」
「わあっ……！」
　晴月は一瞬、声を失い、次の瞬間には笑みがはじけた。
　肩にも髪にも降り積もる紙吹雪は、祝福の雪のよう。
「アメリカの映画のワンシーンみたい……ずっと、憧れてたんだ……こういうの」
　煙のとばりのむこう、クラッカーを手に立つのは桜井ラッセルだ。
「おかえり、晴月」
　その声に応えるかのように、舞い残った紙吹雪がふわりと揺れ、光を反射してきらめいた。
　晴月は小さく息を呑んで肩をふるわせ、髪や肩に貼りついた色片を払いもせず立ちつくす。
「ただいま……。だだいま、ラッセル」

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