ライバル登場！｜リアクション

ライバル登場！

　学校の敷地を出るとほぼ同時に。珪は「綾花の恋人」に戻った。
　寝子島高校の司書として、誰にでも穏やかな笑顔を向ける彼は生徒たちの憧れの的と言っていい。でも、いまの珪は綾花だけの珪だ。表情がちがう、口調の親密さもちがう。校内で一時的に復活した「綾辻さん」呼びも、ごく自然に「綾花さん」へ回帰していた。
　今日、ふたりは手をつないでいない。
　そのかわり、綾花は珪の腕に自分の腕をからめていた。少しでも近くにいたくて、彼女が自ら求めたのだ。日傘は鞄にしまったが、その鞄は珪が持ってくれている。綾花は肩をぴたりと寄せ、珪の体温を感じる。珪からは石鹸と、本のインクのほのかな香りがした。
　それでも綾花の心は、風にはためく吹き流しのようだった。図書室の光景──女子生徒たちのキラキラした瞳、珪の穏やかな笑み、彼の、綾花だけのものではない優しさを目の当たりにしたから。
「珪さんがモテるのは……いまにはじまったことじゃないから理解しているつもりですけど……」
　少しだけ、恨みがましく言ってみる。ところが珪はきょとんとするばかりだ。
「どうしたんだい？　突然？」
　あまつさえ彼は綾花のハンドバッグを軽く持ち上げ、「そんなに重くないと思うけど」と大真面目に言った。
　綾花は一瞬、目を丸くする。
「えっ……？」
　何言ってるんです？　の「えっ……？」が、わかりました！　の「あっ……！」に変わるまで半秒ほどかかった。
　綾花は気づいたのだ。珪は「モテる」を「鞄を持つことができる」という意味に受け取ったのだと。
　珪さんは、モテているという自覚がないんですね。
　彼らしさに笑みが浮かぶも、あまりに鈍感すぎていささか心配にもなる。言い方を変えよう。
「誰にでも優しいのは、珪さんの魅力のひとつです……でも、そのせいか恋のライバルが多すぎるんです。私だけ焼きもちを焼くことになるのは……ずるいです」
　さすがに通じたのだろう。珪は、
「ずるいのか、僕は……」
　と言ったきりしばらく黙ってしまった。怒っている様子はない。ただ、無言の横顔に、綾花の心には波紋がひろがる。
　ふいに珪が足を止めた。通学路の途中、人通りのない角の小さな空き地。雑草が初夏の風にそよぐ場所で。行きがけに見た赤い頭巾のお地蔵様が、ひっそりとたたずんでいるあたりだ。
　綾花は、驚きのあまり呼吸を忘れた。
　珪が腕をほどくと、正面から綾花を抱きしめたのだ。
「だったら僕は、うんとずるく立ち回ろうかな。それでいいかい？」
　珪さんはずるいです。本当に。
　こんなこと不意打ちでされたら、許すしかなくなってしまうから。
　頬が、珪の胸に押し付けられる。ぎゅっと彼の背に腕を回して、もう離したくないと思う。
「私、誰にも負けないくらい、珪さんのことが好きなんですよ」
　綾花の声は切実だ。強い風にさらされる花弁のように。
「……伝わってますか？」
　珪は答えず、綾花の背をなでた。
　大きな手が、肩を、背を、優しくなぞる。寄せては返す波のように、綾花の心を静かに満たした。
　この瞬間が、ずっとつづけばいいのに。
　珪の腕とともに、夏の気配が綾花を包んでいた。