ライバル登場！｜リアクション

ライバル登場！

　玄関の扉を閉めると、梅雨入り前の湿り気を含んだ風が、部屋の奥へと忍び込んでいるのがわかった。
　籐の小籠に鍵を放り込み、朝鳥さゆるは首の後ろに手を回す。着ていたのは、薄手のリブ編みブラウス、淡いパープルの生地は光に透けるほど軽やかで、汗ばむ肌に抵抗なくなじんでいた。
　脱ぐにつれて鎖骨から肩、背中へと、陶器のような肌があらわになっていく。暑気を帯びた生地から、アスファルトの焼けた匂いや、咲き遅れた花の残り香が立ちのぼる気がした。
　さゆるは肩を軽く回してひとつ伸びをし、バスルームの扉を開けた。敷地面積にゆとりのある物件ではないが、浴室だけはゆったりと設計されており、なによりも気に入っている場所だ。
　シャワーの栓をひねると、湯が細く弧を描いて空を切り、裸身へと音もなく降り注いだ。ぬるいというより、ほんの少しひやりとする温度、きゅっと引き締まった肢体を流れていく水に、さゆるは目を細める。
　均整のとれた長い手足。ほどよく筋肉のついた腹部。日焼けひとつない肌が、濡れたことで艶を帯びていく。ショートヘアの前髪が額に貼りつき、雫が頬から顎、首筋へと滑り落ちていった。切れ長の瞳を閉じた横顔は、祈りを捧げる聖女のように清らかだった。
　泡立てたボディソープで、肩から胸元へ、腰から太ももへと、無駄のない動きで体をなぞる。自分の輪郭を確かめるように。
　湯が、身体とともに、心に沈殿した澱（おり）のようなものを洗い流していく気がした。
　鏡越しに映る自分の姿に、さゆるはふと目を留めた。
　そこにいるのは、かつての自暴自棄な少女ではない。静謐な強さを秘めた、ひとりの女性だった。

　生活のペースが整ってきた、と思う。
　いまのところ、大学生とキャバ嬢という二足の草鞋は、なんとか破綻なく履きこなせている。
　水曜、木曜、金曜、土曜の週四日が、さゆみことさゆるの出勤日だ。
　本土にある大学との両立にはそれなりの時間と手間がかかるが、時間割を四限までに抑えることでなんとかやりくりしている。月曜と火曜は五限に必修があるため休日とし、日曜は『プロムナード』の定休日だった。
「さゆる、シフト入れすぎだってば。もっと学生生活をエンジョイしなよ」
　同居人であり恋人、じゅんの言葉だ。ツインテールを揺らし、頬を膨らませて言ったものだ。
　でもさゆるはそのときに、肩をすくめて軽く笑ったのだった。
「できるから」
　その言葉に、じゅんは一瞬むっとした顔をしたが、すぐに「さゆみぴょん、働き者すぎ～！」と、明るいアニメ声で茶化してきた。じゅんの言葉の奥にある心配と愛情が、さゆるには痛いほど伝わった。
　でも、遺産に頼り、行きずりの関係に身を任せていたあの頃とはちがう。
　小さな毎日を、丁寧に重ねていくこと。それが、かつての痛みをゆっくり溶かすものに思えてならない。
　だからこそ、自分の手でお金を稼げるというこの感覚が、こんなにも心を弾ませてくれるのだろう。
　今日も出勤日だが同伴の予定はない。着替えやメイクは店で済ませればいいだけなので、余裕をもって家を出た。

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