姫木 じゅんの朝は、遅い。
キャバクラ勤務ゆえほぼ昼夜逆転生活だ。夜の蝶なんて呼ばれる身なれど、裏を返せば朝はイモムシなわけで、のろのろとベッドから這い出して、太極拳なみのスローモーで着替えはじめた。これがじゅんの日常だ。例外は日曜の早朝だけで、このときばかりはじゅんもシャキッと目を覚ます。理由は簡単、ニチアサと呼ばれる朝アニメの時間帯だからだ。
毎朝アニメやってくれたらいいのにね。
大あくびしながら考えた。
……あ、でもそれだと睡眠不足で死んでしまうか。
皮肉な笑みを頬に貼りつかせたままリビングに入る。
同居人はとうに大学に出たあとだった。昨夜は勤務日で一緒に午前様だったくせに、彼女はなぜか朝に強い。いわゆるショートスリーパーらしく、早起きはまったく苦じゃないらしい。
なんかテキトーに食べるからいらないよ、と毎回言っているのに、今朝も食卓にはブランチが置かれていた。ふきんをめくると、ラップに包まれたサンドイッチがふたつあった。ひとつは卵とキュウリ、もうひとつはトマトが主役らしい。
『適当に、って言ったって、どうせコンビニとかファーストフードでしょう? 栄養取らないと』
という
朝鳥 さゆるの声が聞こえてくるようだ。
思わず手を合わせて皿を持ち上げたそのとき、ふとひらめいた。
せっかくのサンドイッチだし、今朝(ニアリー昼だけど)は外で食べるか。
「あー」
この『あ』には濁点がつく感じをご想像願いたい。
木陰のベンチでサンドイッチを平らげ、お供の水出しコーヒー in 水筒も飲み干したじゅんは、ぶらぶら歩いてやがて、お気に入りのカウンターに肘をのせた。銀のシガレットケースからメンソールを一本取りだし、慣れた手つきで火をつける。そうして、濁点つきの吐息を漏らしたのだった。
ここは、シーサイドタウンの片隅にある、狭くて黒ずんだパラダイス。別名・喫煙所だ。
かつては座席もあったが撤去され、いまや完全立ち吸いスタイル。空気清浄機は壊れてるのがデフォで、窓ガラスだっていつもくすんでいる。
……『ここに嫌われ者がいます』って看板の下がった檻に、自分から入っているような気分。
でも、じゅんには必要な場所だった。
タールの味を肺いっぱいに吸い込み、口と鼻からゆっくり灰色を吐き出す。背徳の味が舌を焼くのと同時に、ちりちりと脳神経に電気が通っていくのがわかる。やっと人類に復帰した気がする瞬間だ。
体に悪いことなんて百も承知。緩慢な自殺って言われるけど、それもまあ一興。なにせ中学の屋上で出会って以来の長い付き合いなんだから。
とはいえ、さゆると暮らすようになって、じゅんもいくらかは変わった。
非喫煙者のさゆるのために、家の中ではなるべく吸わない。
前は一日一箱のペースだったけど、いまは一週間に一箱……はまだ無理でも、三日か四日はもたせている。
完全禁煙は見果てぬ夢だが、それでもいつかは、と思ったりもする。
さゆるを独りにしたくないから。
「一本、いただいてよろしい?」
背後から声がした。黙ってじゅんはシガレットケースを手に取り、ふたを開けた。
白い手袋をはめた手が、黒い紙巻きを抜き取った。
「感謝しますわ。ダーリン♡」
「
ハァ!?」
じゅんの目が半月形につり上がった。こめかみに血管を浮かせて振り返る。
「あんた、なんでここにいるわけ!?」
じゅんの声は、釘打ちバットを構えたような戦闘モードだ。目の前の女をにらみつける。
女、というよりは少女というほうが似つかわしいだろうか。白い帽子に白いサマードレス、手にした白い日傘には、レースの飾りがついている。さらさらのロングヘアは紫色で、戯画化されたレベルのお嬢様ルックだ。瞳は、星を宿したようにキラキラしていた。
「何をおっしゃいますやら、まみ子先輩に会いに来たに決まってますでしょう?」
オホホと
宮小路 美沙(みやこうじ・みさ)は手の甲で口元を隠した。なお、
まみ子というのはじゅんの源氏名である。
「フザけんなよ、寝子島観光か? ここには何もないからとっとと帰りな!」
「ノン、わたくし引っ越してきましたのよ。こちらに」
「また店を追い出されたのかよ。東京圏にいられなくなって都落ちか」
「自主退職して新天地を目指した、と言っていただきたいですわね」
「あと、いい加減その作りキャラやめろ」
「やーですわ♪ 『わたくし、まみ子お姉様の妹、
みちゃ子ですわ。よろしくお願い申し上げますぅ~♡』」
「それがムカつくってんだよ!」
じゅんは半分も吸ってない煙草を灰皿にねじ込み出口を目指した。
だがその手を、するりと美沙につかまれていた。
「待ちぃや。話はまだ終わってへんやろ」
「……素に戻ったな」
と言われた瞬間、ふたたび美沙の目に星が戻った。
「おやおや、お姉様。そんなにご機嫌を損ねられては困りますわ。わたくしたち、これからまた同じ職場になりますのよ?」
同じ職場、だと!?
じゅんのツインテールが逆立った。いや実際に立ってはいないが、少なくとも心象風景としてはそうだ。
「
テメー!」
発作的に美沙の襟首をつかんだ。なのに美沙はニヤリと笑った。
「『プロムナード』を舞台に、まみ☆みちゃシスターズ別名『黒ロリ☆白ロリ』のシーズン2がスタートですわね」
すでに二十九歳ながら高校生、いや、中学生のように見えるじゅんである。
だが恐るべきことに、その条件は美沙も同様なのだ。ここが喫煙所でなければ、仲良し同級生がじゃれあっているように見えたかもしれない。
「いつの間に店の面接受けやがった」
「さあ~? あ、最初はバイトからはじめますので以後よろしく」
それにしても、と美沙は言った。
「間近で見るとうっとりしますわ……。まみ子お姉様、数年ぶりですがいつまでも幼い外見でなにより。ま、それはわたくしもですけれども」
「あんたのは整形だろうが」
「妖精さんの魔法とおっしゃってくださいな」
じゅんは手を離した。
「……とにかく、うちの店をメチャクチャにする前に出てって。いや──
出てけ」
「お姉様冷た~い。かつてわたくしたち、あんなに愛し合った仲だというのに」
じゅんの顔は炎のように紅潮し、この日いちばんの怒りが爆発した。
「あれは! 泥酔したあげくの!
一夜限りの過ちだッ!」
◆ ◆ ◆
口笛吹きつつ
野菜原 ユウは、木製のテーブルをから拭きしている。
飲食店の開店準備なんて、ルーティンワークの極地であり楽しいものでもなかろうが、そんなの気の持ちようじゃね? というのがユウの持論だ。まだ無人のこの店が、昼になれば行列ができ……るほどは繁盛はしてないし、満席でぎっしり……ってわけでもないけど、それなりににぎわって、それなりに馴染みのお客さんも来て、と、ほどほどに忙しく活気に満ちるのを想像するのは、なんとも心楽しくなるものである。
俺ってやっぱ飲食店向いてるんだよな。
寝子高の友人たちはほとんどが大学に進学し、そのかなりの割合が木天蓼大学に通っているのだが、真面目に講義に出て、出席カードを前に船をこいでいる自分を想像するのは難しい。
ま、コンパとか、ちょっとは興味あったけどさ。
けど自分にはこの店がある。『ザ・グレート・タージ・マハル』、本格インド料理店だ。オーナーの
アーナンド・ハイイドには、週の半分は店を任せてもらっている。まだまだ半人前だが、すでにシェフとしての技量はアーナンドの域に迫っていた。いつかは自分の店を持ちたい、その夢はアーナンドには伝えているし、のれん分けにあずかるのか独立するのか、どっちにせよ一国一城の主という目標があるから頑張れる。
だから、コンパなんて遊んでる暇ねーんだよな、俺には。
にししっ、とひとり笑いしたところで、「ごめんくださーい」と張りのある声がした。
「すんません、まだ開店前なんすよー」
あと一時間くらい待って、と言いかけたユウを無視して、スーツの男がずかずかと入ってきた。
できる営業職、といった感じだろうか。高そうなスーツ、整髪料でピンピンに立ち上げた髪、がっしりしたラガーマン体型だが、たれ目が妙に人なつっこい。顔だって全面スマイルだ。
「お忙しいところ大変申し訳ありません。失礼します」
と流れるような口調で言った。やけにぺこぺこしており愛想もいい。
あ、でも。
俺、このタイプ、苦手だな
腰が低そうで妙に押しが強い。ずっと笑顔だけどよく見ると目が笑ってない。底知れない感じがする。
「申し遅れました私、フード・ファンタスティカ・コーポレーションの者です。オーナー様はご在店でしょうか」
「あー、オーナーは今日、湘南の店に行ってます」
「なあんだ」
すると男の態度があきらかに変わった。無駄足だった、という空気が露骨に出ていた。
コイツ、俺のこと学生バイトだとか思ってないか。てか、たぶん思ってる。
「えっと、俺、いや私がいま、店長代理を務めてます。ご用件、代わりに聞きますけど」
内心、いささかムッとしつつもたくみに隠してユウは告げる。だが男の横柄ぶりに変化はなかった。
「あーそう。じゃ、名刺置いてくから。オーナーに渡しといて」
差し出した名刺にはこうあった。
『フード・ファンタスティカ・コーポレーション 代表取締役・CEO
宗馬 遊也(そうま・ゆうや)』
ふーん、とユウが名刺を眺めていると、
「……驚かないの?」
宗馬は怪訝な顔をした。
「はあ?」
と間の抜けた返事をすると宗馬は小馬鹿にしたように肩をすくめた。
「あー、やっぱバイト君はダメだなあ。テレビとか雑誌、見てないの?
あの宗馬 遊也だよ、俺」
「存じ上げませんが」
「いま、急成長中の外食企業FFCの社長! 次々とチェーン店を成功させて、『エル・プレジデンテ』誌の『次世代のカリスマ経営者100人』にも選ばれたこの俺を知らないなんて、お話にならないよ」
「悪いけど全然知りません。あと俺、バイトじゃなくて社員ッす」
宗馬は鼻で笑うと、「まあ、こんなの雇ってる時点でこの店も知れてるな」と言って背を向けた。「今日はアイサツに来ただけだから。仁義切るのが俺の主義でね」
「なんのアイサツだよ」
ここまで失礼な相手に、丁寧語を使うほどユウはお人好しではない。
「この向かいにね、FFCの新店舗を出すから。本格インドカレー店、FFCブランド初の試みだ。よろしくな商売敵さん! 悪いけど、秒でツブすよ、ここ」
そう言い放ち、高笑いとともに宗馬は出て行った。
え……?
ショウバイガタキって、言ったよな。いま。
よく知らないが急成長中の外食企業が、『ザ・グレート・タージ・マハル』の前の道路を挟んだ真正面にインドカレー店をオープン?
これ、マジで、
「ピンチじゃね……」
ユウはつぶやいた。
俺の、一国一城の主の夢が。
俺の愛する。この店が──。
マスターの桂木京介です。
ここまでお読みいただきありがとうございます。ガイド長くて毎度毎度申し訳ありません。ちなみに、読まなくても参加できます。
朝鳥 さゆる様、ガイドに名前だけ使わせて頂きました。
ご参加の際は、このガイドにこだわらず自由にアクションをおかけください。お待ち申し上げております。
概要
寝子暦1372年の5月から6月にかけて、いよいよ梅雨……と思ったけどまだあんまり降らない時期のお話です。
ライバルが登場します! あなたの、あるいはあなたの大切な人の前に!
ガイドの宮小路 美沙(みちゃ子)、宗馬 遊也は新キャラですが、相手は新キャラである必要はありません!
これまで接点のなかったあなたと誰かはライバルとして互いを認識するかもしれません!
仲良しの誰かと、ゲームで楽しく競い合うのだってライバルの登場といっていいでしょう!
宿敵同士というよりは、新しい共通の趣味ができました、というほのぼのストーリーも大歓迎です!
本シナリオは、[TOS]世界(参考)の物語にすることも可能です。
新たなガーナックと因縁ができるとか、あなた自身がガーナックとして人類側と戦うとか、自由に発想してみてください。
NPCについて
制限はありません。ただし相手あってのことなので、必ずご希望通りの展開になるとはかぎりません。ご了承下さい。
特定のマスターさんが担当しているNPCであっても、アクションに記していただければ登場させたいと思います(できなくても最大限の努力はします!)
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、交際相手、銀河帝国の衰退と崩壊を証明した心理歴史学者とその最大の敵など)を書いておいていただけると助かります。
参考シナリオがある場合はタイトルとページ数もお願いします(2シナリオ以内でプリーズ)
私はさまよいびとなので、自分が書いたシナリオでもタイトルとページ数を指定いただけないとかなりの確率で道に迷ってしまいます……。ご注意ください。
それでは次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした!