うちのハムヌター｜リアクション

うちのハムヌター

　九夜山の裾野に猫鳴館はひっそりと佇む。老朽化が激しく風が吹けば窓がガタガタと鳴る。冬は戸締りをしっかりしても部屋に隙間風が吹き込み、煎餅布団の中で膝を抱えて震えながら夜明けを待つことになる。
　今の季節は八月の上旬。建物は木陰に覆われ、涼し気な風に吹かれて快適な環境にある、とは限らない。
　とある部屋。月原想花は色褪せた畳の上に仰向けになっていた。タンクトップやショートパンツは汗で黒ずんでいる。無駄とわかっていながらもうちわを振る手が止められない。
　――うちわの風が温風で意味ないんだよね。わかっているんだけど。
　少し強く扇いだ。掛けた眼鏡が曇るくらい力を入れて失速した。パタリと落ちた右手を眺めていると首筋から汗が流れた。
　生気のない目を天井に向ける。染み跡を数える気にもなれない。
　――実家に帰ればエアコンはあるんだよね。でも、そこには完璧超人の弟がいて、ぼくの居場所はないんだよ。
　泣きそうな顔で笑った。
「キュ～」
　か細い鳴き声が聞こえた。声としては小さいが近くに感じる。
　左手の薄汚れた窓を見やり、視線を下げた。丸っこい物体が目に付く。
　――ハムスターに見えるんだけど。
　前脚を使って顔を拭き始めた。終わると後脚で耳の辺りを頻りに掻いた。
　身だしなみを整えると自ら想花に近付いた。
　想花は左手を動かして水平にした。掌を上に向けるとちょこんと収まる。
　――温かいね。それにかわいい。
　掌に乗せたまま親指で背中を撫でる。嫌がるどころか、自ら背を押し付けた。
「キュ」
　艶やかな黒い目を細めて眠るように丸くなる。目にした想花は躊躇いながらも聞いてみた。
「水でも飲む？」
「キュッ」
　力強く鳴いた。掌を僅かに傾けると自ら下りてちんまりと座る。
　想花が身体を起こしても身じろぎ一つしない。大人しく待つ姿勢を貫いた。
　――ぼくの言葉がわかっているみたい。
　薄幸そうな笑みで押入れを開けた。少し土の付いたニンジンを見つけた。白い髭のような根が生えていたが握ると実はしっかりしていた。
　敷地の空いたところを畑にして収穫されたものだった。所有者はおらず、寮生が好き勝手に栽培していた。
　――貰い物で少し時間は経つけど、傷んではいないんだね。
　想花はニンジンを軽く手で払ってショートパンツのポケットに突っ込んだ。水飲み用の容器はプリンのカップを選び、目に付いたハサミも持っていく。
　廊下に出ると摺り足で歩く。床が抜け落ちた箇所もあるので用心した。
　途中にある小さな洗面所でニンジンを洗った。ひとまず、窓枠に置いてカップをハサミで切る。底から二センチほど残し、平たい容器に仕立てた。
　容器とニンジンを入れ替えてハサミの片刃で皮を削る。誰かが置いた三角コーナーに皮を入れた。実はハサミでスティック状に切り分けた。
　容器に水を入れて行きと同様にそろそろと戻る。部屋に入ると出迎えるように走ってきた。足元に擦り寄る姿は愛らしいが、少し危ない。
「向こうであげるから」
　指さした方向に走るとちょこんと座る。想花は微笑み、水の入った容器を置いた。頭を突っ込むようにして飲み始めた。たまに顔に掛かると前脚で拭いながら大きく仰け反った。
　――ドジなところもかわいいんだよ。
　切り分けたプリンの上部はスティックを入れる道具にした。可愛らしい仕草を見ながら先端を小刻みに齧る。
　その姿に気付いて駆け寄ってきた。後脚で立ち、前脚で宙を引っ掻くような動作を見せた。
「もしかして、これが欲しい？」
　摘まんだ一本を差し出すと前脚で掴み、先端を齧り始めた。その勢いに想花は柔らかい笑みを浮かべた。
　容器の水はあと少し。ニンジンは全て平らげた。腹が満たされて眠くなったのか。動きが緩慢になった。
「キュ～」
　甘えるような声で鳴いた。先に横になっていた想花は、おいで、と言って手を伸ばす。掌に収まると顔の近くに持ってきた。
「ぼくと一緒に、いて欲しいんだよ」　
「キュ～、キュ～」

　その日、小さな同居人（？）が加わった。

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