あなたの最期｜リアクション

あなたの最期

　青い空にけたたましい音が響き渡る。回転した車はガードレールに弾かれて車線を越えて電信柱にボンネットを潰されて停まった。車道に描かれたスリップ痕は黒い三日月を描き出す。
　その一部が赤く染まる。出所は桜井ラッセルで仰向けに倒れていた。
　同じように横断歩道で倒れていた女性が上体を起こす。擦り剥けた額の一部が血で滲む。足首を捻っているのか。立ち上がることが出来ず、何かを探すように目を動かす。
　ラッセルの姿を目にして悲鳴を上げた。桁違いの出血で全身が震え、身代わりとなった相手に頭を下げた。
「ごめんなさい！　わたしのせいで、ごめんなさい！」
　ラッセルの耳にぼんやりと声が届く。手を挙げて、なんでもねーよ、と言いたかった。
　その手が上がらなかった。脚も動かせない。全身が痛くて熱い。熱々の鉄板の上に寝ているようだった。
　咳き込みそうになった。口の中に血が溢れてゴボゴボと不快な音を立てた。意識だけは別で澄んだ空のように鮮明だった。
　――なんで飛び出したんだろうな。そりゃ、あのままだと女性が轢かれていたけどさ。人助けなんて高尚な動機じゃないんだよな。
　自分を嗤うこともできない。全ての感覚が手から離れてゆく。
　――髪が長くて、小柄で。それだけの理由で晴月と思って。そしたら身体が勝手に飛び出して、そこまで好きなのかよって。なんか熱いのを通り越して寒くなってきたな。そのくせに震えることもできやしない。
　僅かに目を細めた。
　――そろそろ救急車がくる頃かな。そんで気絶して気付いたら病院のベッドにいて、めでたしめでたし、なんてことになりそうにないな。マジで寒いし、なんか空は青いのに暗くなってきやがった。
　意識を保とうと空の一点を睨み付ける。実際には虚ろな表情で、ただ空を眺めていた。
　その一部がゆらりと揺れる。緑色の点は広がって風の精晴月に姿を変えた。エメラルドグリーンの長髪を見てラッセルは胸の裡で愚痴を零す。
　――これが晴月だろ。俺が突き飛ばした女性は黒髪で顔も全然、似てねーよ。マジでふざけんなよ。反省しろ、俺って言ってもその時間がなくなりそうだ。
　晴月は宙に浮いた状態でラッセルを覗き込む。
「ラッセル、早いんだよ」
　少し頬を膨らませていた。それでいて目を細める。よくわからない表情にラッセルは心の中で苦笑した。
　――どんな感情だよ、それ。まあ、早いことは認める。八十のジジイくらいにお迎えがくると思っていたんだけどな。あとさ、心の声が届くかわかんねーけど、俺って死んだらどうなるんだろうな。知ってたら教えてくれないか。できたら晴月と一緒にいたいんだけど。同じような存在になってもいい。ふわふわと気ままに世界を見て回りたいな。
　晴月はラッセルの表情を読み取るようにじっと見つめる。小難しい顔を近づけてにっこりした。
「よくわからないんだよね」
　伝えたい内容が理解できないのか。死後の世界を知らないのか。どちらにでも取れる一言で微笑む。
　――あとの楽しみってことだな。永遠の別れもあるかもしれないんだよな。そうなると悔いが残るかもしんねーし、ここは餞別としてキスしてくれねぇか。減るもんじゃないし、いいだろ？
　ラッセルは全ての力を唇に注ぐ。僅かに突き出して晴月の様子を窺う。
「わかった。目を開けたままで」
　晴月の顔が近くなる。周囲の目を塞ぐように髪が広がってラッセルを包み込み、その中で二人は唇を合わせた。
　――ありがとう。これで思い残すことはないとは言わねーけど、俺らしい最期になったよな。それともう一つ、これだけは言わせてくれ。
　晴月が幸せでありますように。
　相手に心の声は届いたのか。ゆっくりと離れて手を差し出す。
「ラッセル、導手（みちびきて）として楽にしてあげるね」
　その手がラッセルに触れる直前、愛しているよ、と風に乗るような声が聞こえた。

　ラッセルは滲んだ世界に包まれた。

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