それぞれの世界線｜リアクション

それぞれの世界線

　ベッドで目覚めた落合まゆらは即座にランニングウェアに着替えた。手首や足首のストレッチを行い、最後は全身に及んだ。
　程よく身体が解れると笑顔で外へ飛び出していった。

　都内の広々とした歩道を軽やかに走る。早朝の時間帯が幸いして人通りは極端に少ない。人気声優と騒がれることなくランニングに励んだ。
　小刻みな呼吸を心掛け、目抜き通りの二つ目の信号を左に折れた。輝き始める青い空に目がいく。

　――寝子ヶ浜海岸の海みたい。
　離れた島を思い出し、胸いっぱいに息を吸い込んだ。

　およそ一時間の走り込みをこなし、程々に汗をかいた状態でまゆらはアパートに戻ってきた。早速、着替えを片手に浴室へ直行した。頭から熱いシャワーを浴びて安堵のような息を吐いた。
　身なりを整えると自室でスマートフォンを起動させた。今日のスケジュールに目を通し、届いたメールの内容を読み込む。
　しっかり頭に入れると都内にある収録スタジオへ電車で向かう。ドア窓の側に立ったまゆらは脚本に書かれた主役の言葉を思い出し、口だけを動かす。
　下車して徒歩で十数分。閑静な住宅街にあるスタジオに一番乗りを果たす。まゆらは使い込んだ脚本を手に本番さながらの練習を始めた。
　その最中、新作アニメで共演する声優達が次々と姿を現した。目にする度にまゆらは笑顔で駆け寄り、大きな声で挨拶をした。現状の人気を鼻に掛けず、デビュー三年目の新人として相応しい行動を取った。
　少ないリテイクで収録は終わった。一息入れる間もなくまゆらは移動を開始した。
　別のスタジオで洋画の吹き替えが終わると待たせていたタクシーに乗り込む。隣にはマネージャーがいて新しく入った予定を早口で説明した。
　まゆらは呆れたような表情を浮かべる。
「突然の仕事が入ったら、それってスケジュールが決まってないのと同じよね」
「これが新人声優の日常です。身体を壊さない範囲で頑張りましょう」
「忙しすぎて、なんか笑えてくるね」
　まゆらはサイドガラスに頭を預けた。流れる光景を漫然と見ながら控え目な欠伸をした。

　夕焼けが夜に侵食される頃、まゆらは事務所のソファーに足を投げ出したような格好で座っていた。心底、疲れたような顔でマネージャーから差し出された台本とＤＶＤを受け取った。
「その台本はナレーションに関わるものです。ＤＶＤは明後日に収録が決まったバラエティー番組の参考資料として観てください」
「わかったわ。それで今日はこれで終わりよね？」
「残念ながら」
　マネージャーは苦笑してアニメの代役の話が回ってきたことを掻い摘んで説明した。
「このアニメは人気作品の続編に当たるので落とせない案件になります」
「念を押さなくてもいいわ。他には？　いくらなんでも、もう、ないよね」
「新作アニメのオーディションの話がいくつかありまして」
　マネージャーは済まなそうに頭を下げた。
　――今日も帰りが遅くなりそう。
　まゆらは肩を竦めて笑うと話の先を促した。

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