もうひとつの卒業、桜色のにゃあ｜リアクション

もうひとつの卒業、桜色のにゃあ

　桜色の思い出たち・３

　ここで、夏朝の相棒であるえみなハルくんのことを語ろう。
　ハルくんは夏朝といつも一緒にいる橙布製猫パペットである。
　思えば入学当初から夏朝の左手に嵌っていて、言葉すくなで表情の変化も乏しい夏朝の代わりに大きなお口をパクパク、お手手をパタパタ、友人たちとのコミュニケーションの一助となってきたと自負している。
　夏朝の一番の友人で、夏朝の心を夏朝以上に表現する存在、それがハルくんだ。
（ハルはつくもがみになれてうれしいのにゃ）
　以前も神魂の影響で動けたことがあったけれど、本格的に自我を得て付喪神となったのは夏朝と夏夜がふたつに分かれ、寝子島が霊界とほど近くなったここ一年のこと。以降は、ときおり夏朝の左手を離れて、ふらりと出かけることも出来るようになった。
「かーさやかやは卒業の準備とかで忙しいにゃ」
　手伝えるときは手伝うけれど、遊んで、とまではおねだりできない。
　だから最近のハルくんはひとりで星幽塔や霊界等へ行ったり、橙色の猫耳パーカーを羽織った少年の姿で寝子島をお散歩したりしている。なかなかに気遣いのできる自立したパペットである。
　しかし三月になってからというもの、ハルくんの心はすっきりと晴れない。
　なぜならば――。
（かーさもかやもねここう卒業にゃ。ののこちゃんも卒業……って事は、世界はふつうに戻るのにゃ？）
　だとすると……と、ハルくんの心の中にはにわかに暗雲立ち込める。
（ハルも、もう付喪神として動けなくなるのかもにゃ）
　なんとはなしにキャットロードをお散歩していたハルくんは、おもちゃ屋さんの店先でふと立ち止まった。
　太陽電池で動く招き猫が、絶え間なく腕を動かしておいでおいでをしている。
（ハルが動けるのは寝子島にフシギがあるからにゃ……もしもののこちゃんがいなくなることでフシギがなくなっちゃうのなら、ハルくんはただの猫パペットに戻っちゃうのかにゃ……？）
　そんなのは寂しい。
　それ以上に、また『モノ』に戻ってしまうのが怖い。
（ハルは……ハルは、どうしたらいいにゃ？）
　ハルくんは葛藤していた。
（星幽塔や霊界で過ごす手もあるかもだけど……）
　おもちゃ屋さんの店先に佇む招き猫に引き寄せられるように、ハルくんはしゃがみ込む。
　――おいで。
　――おいで。
　ハルくんのつぶらな瞳の中で、プラスチックの招き猫はおいでおいでをし続ける。
　――こっちにおいで。
　パペットに戻ったら、きっと自分の意思では動けなくなってしまうだろう。
　だけどフシギが当たり前な星幽塔や霊界でなら、付喪神のまま存在し続けられるのかもしれない。
　――おいでよ、おいで。
　――人間なんか気にすることないさ。
　――こっちの世界は楽しいよ。
　リズミカルにおいでと招く、プラスチック製の猫の白い手。
　その蠱惑的に魔力に引き込まれそうになっていたハルくんは、ぶるぶるっと猫耳パーカーごと首を振った。
（ハルは、かーさやかやと一緒に居たい。見守りたいのにゃ。ただの猫パペットに戻って、動けなくなっても）
　ああ。
　ハルくんにしては珍しく、ため息ひとつ。
　みんながいまのまま幸せに生きる術が、あったらいいのに。