天の星のごとく数多で素晴らしき｜リアクション

天の星のごとく数多で素晴らしき

　私にとって『踊る』ということ

　先だって欧州で行われたオリンピックで『ブレイキン』という競技が採用された。ヒップホップの音楽に乗せて自らの四肢をアクロバティックに使って踊り、戦う競技だ。元はニューヨークの貧困地区で、アウトローな者たちのリーダーが、殺し合いではなく音楽で勝負することを提唱したことからはじまったのだという。おそらく彼らは安っぽい理由から発展する命の取り合いに、ほとほと辟易していたのであろう。
　命。
　十四才だった梓智依子が将来を嘱望されたダンスの道を諦めた理由はまさにそれであった。
　みずからの子宮に授かった命と、ダンス。
　どちらかしか選べないという岐路に立たされた十四才の智依子は、命を選択したのである。
　情けもないことに男はこの命に責任を持つことはなかった。女である智依子だけがその重みを背負い、事情も知らぬ他人からだけでなく本来守ってくれるべき両親からも責められて、夢を捨てなければいけなかったことは、子宮を持つ体を持つ身に生まれてしまったものの悲しい宿命であり事実でもある。
　そのとき生まれた娘は五歳になった。目に入れても痛くないほど愛おしい存在である。だからあのときの選択を後悔したりすることはない。けれど、テレビで見ていたオリンピックで、日本人女性が初のオリンピックチャンピオンになったときはざわざわした。
　ほんの数歳年上なだけの、同じ国に生まれた女性が、ダンスで世界のてっぺんを取った。
　――私は。
　踊ることが好きだった。
　人が認める天賦の才が、私にはあった。
　あのとき、彼を愛さなかったら、違う未来が待っていただろうか。
　あのとき、大人に見えた彼のやさしさが、チープで割れやすい硝子だと気づくことが出来ていたら。
　あのとき、もしも、ダンスを選択していたら――。
「ママ？」
　娘の楓が、顔を覗き込んでいる。
　ここは寝子ヶ浜海浜公園。
　ちかごろここで、娘にダンスの基礎を教えているのだった。

「ごめんね楓。ママ、ちょっとぼーっとしちゃってた」

「もう、ママ、しっかりしてよ」
　もうすぐ小学一年生になる娘は、すっかりおしゃまだ。ときに母である自分より大人なんじゃないかと思うことすらある。しかも、楓にはダンスの才がある。親の贔屓目といわれればそれまでだが、ダンサーを目指した自分とダンスコーチであった彼の血を引いた娘に才能が芽生えるなら、それは必然ではないかとも思ってしまう。
「じゃあもう一度、基礎のステップね」
「えーまた？」
　いま、楓に教えているのは、ダンスを習いはじめたら最初に学ぶことになる基礎の基礎だ。
　反復練習になるので五歳の子にはつまらないかもしれないが、ここがしっかりできるようになると、そのあとの応用が効く、つまり楽しく踊れるようになる。基礎を楽しく身につけることができたら――、と智依子は腐心する。それは智依子がダンサーとしてだけではなく指導者としても素質のある証であった。
「楓は保育所で好きな子いる？」
「いる！」
「じゃあ、その子と手をつないでる気持ちで踊ってみようか。足を踏まないように。でも楽しく」
「うーん……？」
「大丈夫。ママの真似をしてみて」
　ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー。
　ステップを踏む。
　はじめはたどたどしかった楓のステップが、智依子に導かれて次第に変化してくる。

　――あの日。
　命を選んでよかった。
　けれどもし、命もダンスも選べるなら――両方を手にする道が今からでもあるなら。
　そう夢見ることは決して罪ではない。
　なぜならば智依子の人生は、終わったりなんかしていないのだから。

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