天の星のごとく数多で素晴らしき｜リアクション

天の星のごとく数多で素晴らしき

　魔女の座

「この部屋の前の主は『魔女』と名乗っていたそうです」
　四月になり、星ヶ丘寮に入寮を予定している新入生が部屋を見て回っている。案内をしてくれるのは寮が雇っているコンシェルジュだ。星ヶ丘寮は星ヶ丘の西、森に囲まれた丘の上に建っている白亜の建物群で、部屋というのは一つの建物。ここで暮らすセレブな生徒たちは、寮の部屋を我が家のように思い思いにアレンジして使っている。
　その部屋は、この三月に卒業した旅鴉月詠という学生が暮らしていた。この月詠という少女は、才ある芸術家であり、この部屋をアトリエとして創作活動に勤しんでいたらしい。

「アトリエ『魔女の座』――彼女はこの部屋をそう呼んでいたそうです」

　海を見渡せるバルコニーは、彼女がいたときそのままに椅子とティーテーブルが残されていた。本来であれば、退寮のときに全て片付け、原状回復をしてゆくのが原則であろう。しかし月詠はそうはしなかった。彼女が居心地よく整えた家具も、三年間の間に拵えた作品もそのままに、ただあるじだけがほんのすこし散歩に出かけていますといった風情で、部屋をそっくりそのまま残したのである。
「次に来る者が何を思うか興味がある、などとおっしゃいましてね」
　すごい、と中学を卒業したばかりの新入生は思った。夕焼けを描いた幻想的な海の絵も、猫のオブジェも、宇宙を模した立体も、一点だけの月詠の作品だ。この部屋はもしや貴重な宝箱の中なのではないだろうか。これらをすべて惜しみなく後輩に残していくなんて、『魔女』って人はどんな人だったのだろう。
　心躍らせ部屋の中を見て回る新入生は、机の上に一冊のスケッチブックが残されていることに気づく。
　開かれたページにはこう書かれていた。
『汝、自由を謳歌すべし』
　この言葉が『魔女』の生家の家訓であることなど新入生には知りようもなかったが、めまいを感じるほど心を動かされたのはたしかだ。
「この部屋にします」
　と新入生はいった。
「ええ、絶対にこの部屋で。大切に暮らします」
　案内をしたコンシェルジュは新入生の意思を受け、手を胸にあて深く深くお辞儀をした。

　――惜しくはなかったか、と自問する。
「なにがだい？　全てを残してきたことかい？」
　魔女、こと、月詠は海岸を歩いていた。
「かまわないだろう。イマジネーションは無尽蔵に沸いてきて、いずれ置き場がなくなるのは明白、だったら誰かに愛でてもらった方がよいだろうからね」
　また創ればいいのだ、と月詠は思う。
　あらたな『魔女の座』を。
　十代の三年間を過ごしたあの部屋のことを想うと、恋しさに似た感情が湧き上がることを月詠は自覚している。あの部屋でいくつの作品を生み出しただろう。瞼を閉じれば、それらの一つ一つが星となって、『魔女の座』という宇宙を遊び巡るさまが目に浮かぶ。
　私はあの宇宙のあるじであった。
　神であった。
　舞台監督であり、あるいは一番の観客であった。
「踊ろうか」
　月詠は海風へ手を差し出す。
　それは――無表情な彼女の、精いっぱいの強がりにも思えた。

　魔女は泣かない。
　たとえ世界が滅びようとも。
　踊るだけだ。
　ちょっと奇妙なリズムで。
　明日、また、生みだすために。

　沈みかけの夕日が今日も美しかった。
　雲は八股に裂け、金色の手でおいでおいでをしているように見える。
　暮れゆく空を見上げる。
　一番星が輝いている。

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