ワケアリ品はお安く、甘く｜リアクション

ワケアリ品はお安く、甘く

　ケーキにチョコ、クッキー、菓子パンと高級スイーツも様々だが、容易に手が届かないからこその高級だ。星ヶ丘地区の洋菓子店に和菓子店、いずれも綾辻綾花にとってはいささか縁遠い存在だった。
　それが本日、指をくわえて眺めるばかりだったそんな品々をお安く気軽にいただけるのだという。この機を逃す手はあるまい。
「よほど楽しみにしていたんだね。綾辻さん」
「えっ？　分かりますか？　どうして？」
　会場の寝子ヶ浜海浜公園への道すがら、早川珪の微笑ましい目に気づいて、はっとした。
「うん。今日はずっとにこにこしているから」
　思わず頬を赤くして、目を背けてしまう。じっと見つめられていたらしいと思うと頬が火照った。
　まぁそういう珪もまたにこにこと笑顔がまぶしく、今日の催しを楽しみにしていたらしいことが伝わってきて、綾花もほくほくなのだが。

「珪さん、どれにしますか？」
「そうだなぁ」
　配布されているチラシには店舗とメニューの一覧が掲載されており、これが美味しそうこっちも美味そうだねとあれこれ吟味するのがまた楽しい。
「それじゃ、『ゆめぱん』の半熟卵のクロックマダムをお昼に食べてから、デザートにフルーツロールケーキとチョコレートパフェって感じで」
「いいね。そうしよう」
　チョコのようにとろける笑顔。美食もいいが、恋する彼の豊かな表情もまたいいものだ。
　キッチンカーへ連なる行列へ並びながら、先ほど立てたプランを細やかに修正していく。品物を実際に目にすると、気になるものが増えていくのが楽しくも困ってしまうところだ。
「あのパン、半分こずつにしませんか？」
「そうだね、それでちょうどいいかもしれない。ああでも、あっちの総菜パンも美味しそうだなぁ」
「ふふ、迷っちゃいますね」
「本当にね」
　そうして一通り買い揃えてみると、初めに想定していた倍ほどの量となっていた。顔を見合わせ、互いをしばし見つめてから吹き出した。
「あの……つ、次のデートは良かったら、身体を動かすことをしませんか」
「うん。それもいいね。こんなに食べたらさすがに、太ってしまうかも……」
「言わないでください！」
　とはいえ綾花も珪も悪くないスタイルを維持しているし、今日くらいはいくらか食べすぎても問題はないだろう。
「おっ。ねぇ、もう一品追加してもいいかな」
「えーっと。こ、ここまできたらどんとこい、です……！」
「ははは。ワインに似合うフルーツタルト、なんて書いてあるから気になってね」
　少々形の崩れた、しかしいかにも美味なフルーツタルトを追加し、会場内のフードコートでいただくことにする。
　まずは半熟卵のクロックマダムから。クロックマダムとはクロックムッシュから派生したホットサンドイッチで、発祥はフランス。片手で手軽に食べられる食事パンで、忙しいパリの紳士たち、つまりムッシューたちに喜ばれたメニューだったそうだ。転じてクロックマダムは淑女がナイフとフォークを使い優雅に食する様を表している。目玉焼きをパリジェンヌたちのかぶる帽子に見立てたという説もある……などといった由来がチラシにも掲載されているが、いずれにしても洒落た名づけではないか。
「チーズたっぷり！　美味しいですね」
「おっと。伸びる伸びる……」
　かぶりつくとチーズが伸びて垂れ落ちて、笑みもこぼれた。

　食事パンからデザートまでひとしきり楽しむと、さすがに満腹だ。明日あたり体重計に乗るのが怖いが、今は考えないことにする。それに、その結果を口実に彼をフィットネスデートに誘うのも悪くない。
「どれもすごく美味しかったですね」
「僕はフルーツタルトと、バスクチーズケーキも美味かったな。ワインにも合いそうで。綾辻さんは？」
「あっ、私も一緒です！」
　また食べたいね、と彼が言うので、綾花はいつもの菓子作りの研究を深め、新たなレパートリーを加えることを決意した。元より料理好きだし、彼に食べてもらうためと思えば勉強だって苦にならない。
　本音を言えば星ヶ丘の店舗で出来立てをいただき、その味わいを珪と共有したいところだが、今日のようなイベントにおいても綾花の胸は十分すぎるほどに満ち足りている。
「やっぱり、珪さんと一緒に食べると美味しいです」
「そうかな？　僕も……」
　と言いかけて、彼は咳払い。大人には越えられぬ線というものがあるのだ、分かって欲しい。
「いつかその続き、聞かせてくださいね」
「いやぁ、ははは……あっ、ちょっと。綾辻さん？」
　彼の手を引いて立ち上がる。まだもう二～三品はいけそうな気がしてきた。体重計のことは忘れよう、今は目の前の幸せだけ見つめていよう。

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