初恋デェト｜リアクション

初恋デェト

　御巫時子はぽかんとした。帰宅しようと昇降口へ歩いていて、学校の廊下を曲がったら、前方から五十嵐尚輝が歩いてきたのだ。
「先生」
「御巫さん？　偶然ですね」
　いつも通り、ぼそぼそと言われたが、時子ははいと返した。
（なんか、嬉しいですね）
　偶然、いつも心の中で想っている人に会えるなんて。自由登校なので余計に。
　ふと思い出したのは尚輝を知ったきっかけ、好きになった記憶。こんな風に青空が広がっていたその日の空気の匂いまで鮮明に思い出せる。
　鳥さんと話していると噂になり、ご飯より実験が大好きで食べることも忘れてしまう。
　最初は鳥と話しているところが気になっていたが、いつしか実験浸けで一日食べなくても平気で過ごせてしまう彼が心配になった。徐々にお弁当を作って持って行くようになり、学校外での話もするようになった。
　そんなふうに過ごすうち、好きになって行った気がする。
「もしかしてこれから実験ですか？」
「退勤時間まで、新しい薬品の実験をします。……せっかくなので、コーヒーでもどうですか」
　一瞬分からなかったが、誘ってくれたようだ。
「はい、是非」
　いつものコーヒー入りビーカーを思い出して、幸せな気分になる。
　夕暮れの理科室はオレンジ色に染まっていた。
　尚輝は手慣れた様子で実験の準備をし、最後にアルコールランプでお湯を沸かし、コーヒーを淹れてくれた。
「はい」
「ありがとうございます」
　熱々のビーカーから香ばしい香りが漂って来る。
「これ、良かったら」
　コーヒーの後に差し出されたのは、海苔の巻かれたおにぎりだった。購買部で売られているものだ。
「これは……」
　尚輝は頭をかいて、
「たまたま購買部を通りかかって、食べないと体に悪いと言われていたので買ってみました。でも、昼休みは実験をしていたので」
　結局食べなかったらしい。
（先生、もしかして私が卒業するから……）
　きゅっと胸が締め付けられるようだ。
「あの」
　一度言葉を切って、
「尚輝先生とお話しするのが楽しくて、お弁当を一緒に食べてる時間が好きでした。先生が実験してる姿も実感道具を片付けながら話す時間も好きです」
　どんな時間も尚輝と一緒なら楽しめた。
　初めて、こんな風に見つめてドキドキした。
（私の初恋は、尚輝先生です）
「ありがとう。僕のことを理解してくれる君はこれからも大切な存在です」
　尚輝の初恋は、自分ではない。それは分かっているが、少しだけ寂しさもある。
「卒業してもお弁当を作っても良いですか？」
「届けてくれるんですか？」
「そ、それは考えます」
　でも、好きな人に食べてもらいたいから。
「今度、買い物行きませんか？　先生の好きなおかず、教えて下さい」
　いつの間にかコーヒーの香りが理科室全体に広がっていた。そのせいか、頭がふわふわして、ぼんやりする。
（このまま初恋と、さようならするのは寂しいです）

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