寝子野家エレジイ｜リアクション

寝子野家エレジイ

　ライブとは闘争に他ならない。アーティストが衝動迸るままにかき鳴らし声を張り上げ、魂を費やし、響かせる爆音が人々の胸にわだかまる鬱屈や悲壮や悲哀を駆逐してゆく。停滞、憤懣、絶望、挫折、負の感情と戦うには多大なるエネルギーを消費し、闘士たちは己の全てを賭してそれらへと挑むのだ。

　故に最後のワンフレーズを弾き終えると楡宮遠海は全身汗濡れて、昂りは完全燃焼してもなお身体の奥底の真芯までをも侵し燻っていた。シャワーを浴び汗を流し切っても、冷水を頭からかぶっても熱は冷めやらず遠海を焦燥に駆り立てたが、それこそが次なるステージへと彼女を誘う動力源ともなっていた。仲間たちもきっと同じだ。前のめりに再び、舞台の上へと立つだろう。
「おっつかれー！」
　星野アカリが彼女たちへ飛びつき抱きしめたのもまた、内側の熱の逃がしどころを求めてのことだったのかもしれない。
　ガールズバンド「衝動少女」はそんなアカリと遠海、それに綾瀬ルイとメイの姉妹で結成したアーティストユニットだ。今はまだインディーズバンドの枠を超えないが、いずれは慧眼備える誰かの目に留まり羽搏いてゆくだろう。そうなるかもしれない。そのはずだ……そうなればいいと願う。
「あー、おなかすいた！　遠海もペコペコでしょ、食欲魔人だもんね」
「魔人って。まぁ否定はしないけど。それで何食べる？　ルイ、メイ、何食べたい？」
「あたし、がっつりいきたい気分！」
「私もー。でもこの時間じゃ、開いてるお店あるかな？」
　時刻は午後１０時を回っていた。繁華街の火も落とされつつある中で、近年は２４時間営業を謳う飲食店も減ったから、あたりにまだ煌々と明かりを照らしているのはコンビニか飲み屋くらいのものだ。アカリが眉をしかめた。
「ライブ終わりにコンビニ弁当ってのもなぁ……」
「でも、最近のコンビニご飯はけっこう美味しいよ？　冷凍食品もあるし、その場であたためてくれたりするし」
「それはそうかもしれないけどぉ……」
　アカリが姉妹の姉、ルイとそんなことを言っている間に、妹のメイが遠海の袖を引いた。
「ねぇ遠海ちゃん、向こうに寝子野家あるって」
「あら、そうなの？　近い？」
「うん、すぐそこ」
　メイの掲げたスマホの地図アプリに遠海はうなずき、アカリとルイの瞳も輝いた。

　牛丼、サンマ丼、豚丼からあげ丼。寝子島丼。いずれも特盛に卵をつけ、サラダとお新香、キムチにあさり汁も注文した。メンバー四人揃ってのオーダーではなく、一人分である。
「さすが食欲魔人……」
「圧巻」
「遠海ちゃんの胃袋は宇宙だね」
「あなたたち、好き勝手言い過ぎ……私にとってはこれが普通なの」
　普通とは何だろう。他の面々はアカリが牛丼大盛りに豚汁をつけたくらいで、姉妹は並盛の寝子島丼と豚丼をシェアしつつ食べ、周りにちらほらと数人いる客たちだってワントレイに収まる程度の注文だ。遠海のオーダーを受けた店員などはぎょっとして目を剥いていたし、それらが運ばれてくる様はまるで大名行列か何かの儀式の様相だった。
「…………」
「あー。また遠海のいつものやつだ」
「すごい集中力だねぇ」
「もう夢中」
「猫まっしぐら」
　仲間たちが何か言っているがもう耳には入らなかった。粛々と牛丼へ卵を割り入れ、崩しながらに一口。続いてサンマ丼。あさり汁を挟み豚丼、からあげ丼と続く。お新香とキムチで口をさっぱりとさせてから寝子島丼へ箸をつけた。ただ無心、眼前の食を堪能するのみ。
　遠海の食事風景は周囲を常に驚かせる。良家の子女のごとく楚々としながら恐るべき物量が速度を保ったままその胃袋へ収まってゆき、本人はけろりと涼しげな顔を崩さないのだから無理もない。もっとも仲間たちにとってはいつもの光景であったが。
「そういや次のライブの曲、どうしよっか」
「んー、カバー曲もいいんだけど」
「やっぱりオリジナルで勝負したいよねー」
「何にしても、ちゃんと遠海の意見も聞きたいかな。相談は食べてからにしよ」
「それもそうだねぇ」
「この量を頼んどいて、食べ終わりは大抵あたしたちと同じなんだから、ホントどーなってんだろーね……」
「それにしてもこの食べっぷりよ。幸せそうな顔してからに」
　今はこのボリューミー、コスパの王様、それでいてコク深く味わい深いタレや柔らかくジューシーな肉と白飯のハーモニーを、ただひたすらに。遠海の宇宙は広がり続けるのだ。
「いや広がり続けたら終わんなくない？」
「程々にしてもらえると助かるけどねぇ」
　ごもっとも。

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寝子野家エレジイ

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