空き巣は決して軽犯罪ではない。当たり前のように聞こえてこれが案外と、軽い気持ちで手を出す者が少なく無いのだ。水槻 清恋は憤る。空き巣は重罪である。刑罰の重みを言っているのではなく、確かに盗みに入った頻度や被害額に相応の刑が科され、３～１０年の懲役か５０万円以下の罰金となることもあるが、そういうことではないのだ。彼らが盗むのは金や品々のみならず、被害者の心でもある。
「あれねぇ、旦那の遺品だったのよ。目について、お金のついでに持っていっちゃったのね。そりゃあ年金暮らしだからねぇ、おばあちゃんのなけなしの生活費よ？　取られちゃったのは辛いけど……」
「分かります」
「あの人の形見だけは、返してくれないかしらねぇ……」
　連続窃盗犯は周辺一帯に留まらず、広く犯行を繰り返しているようだ。目の前の老婦人の語るような話は何も珍しくはなく、聞き込みのたび清恋は同様の被害を目の当たりにし、その度心を痛めずにいられない。
「犯人は……必ず捕まえますから」
「ええ、よろしくお願いねぇ。取り戻してちょうだいねぇ」
　清恋は言葉に詰まった。犯人が逮捕されたとしても、盗まれた金品が被害者へ戻るケースは稀だ。
「……善処します」
　言い置いて、身を引き剥がすようにしてその場を離れた。

　早朝から始めた聞き込みだが数件も回らぬうちに昼時を回っていた。被害者は先の老婦人のように様々な要因で生活に困窮する人々も多くなく、清恋も思わず同情を深めてしまい一軒で長々と話を聞いてしまうことも少なくない。一方で彼らの人となりも様々で、控えめで遠慮がちな小市民もあれば語気を強め警察の怠慢を揶揄したり面と向かって罵倒する者もあったりするから、対応する清恋の精神的疲労も並ではなかった。
「う……」
　わだかまる憤懣に忘れていたが、細く長く腹が鳴って空腹に気づく。周囲の通行人にも聞かれただろうかと清恋は頬を赤くしながら足早となった。
（まったく。恥ずかしいったらありゃしない……あ）
　午後もまた何軒も回るつもりだし、気が急いてじっくり腰を据えてランチをという気分でもないから、こんな時はパッと入ってすぐ出られるような、それでいて仕事に支障を来さぬようがっつりとスタミナを補給できるものがよい。そんな条件に合致する店を通りに見つけ、清恋は足早に入店した。寝子野家はいつの時代も、ハードワークの強い味方である。
「月見牛とじ丼の特盛。それと、豚汁……ポテトサラダもください」
　いささかボリューム過多だろうか、いやこの後も被害者宅への聞き込み回り、それを終えたら署に戻り膨大な書類仕事もこなさねばならないから、夕飯はきっとまともな食事も取れまい。今夜の残業も思えば妥当なところだ。
　瞬く間に届いた品にさっそく箸をつける。卵でとじた牛肉はタレにしっかり浸かりながらもマイルドな味わいで食べ応えも申し分ない。豚汁をすすりポテトサラダを経由し再び牛とじ丼へ。まさしく満月のごとき卵黄を崩してかきこむ。すぐに食べてしまい早々に仕事へ戻るつもりがうっかり和み、じっくりと味わってしまった。
　しかしそんな時の浪費が功を奏することもある。天の采配とでも言おうか。
「いやー、疲れた疲れた！　へへへ。お姉ちゃん、牛丼大盛りね！　温玉も乗っけてよ。それと、お新香とからあげとー……ビールもつけちゃおっかな！」
「かしこまりました。少々お待ちください」
「へへへ、待ちます待ちますとも。時間なんていくらでもあんだから。今ね、ちょうど一つね、仕事をやっつけてきたとこでね。今日はもう、豪勢にいっちゃうんだー俺は！　へっへっへ」
「そ、そうですか……」
　入店する前からコンビニのカップ酒でも引っかけてきたのだろう赤ら顔の男のがらがら声がわめく言葉へ、清恋は注意深く耳を傾けた。無精ひげを生やした品のない笑い顔も。身長は165cm程度、中肉中背、上下に黒いスウェット。グレーのパーカー。足元のスニーカーは踵が履き潰されている。
（……似てる）
　件の連続窃盗事件においては監視カメラのいささか不鮮明な情報をもとに、各種データに添えて似顔絵が捜査員へと配られていた。その精巧で精緻な筆致が描き出した印象と、目の前の男は良く似ている。視線を悟られまいと気をつけつつ、箸を止めぬまましばし観察するに確信は深まっていった。
　手慣れた故か犯行は緻密で状況証拠に乏しく、今日まで捜査の手を嘲笑うように逃れてきた。そんな犯人と目の前の酒に酔って緩みきった男が合致するかと言われれば、少し揺らぐ。しかし清恋が多種多様な事件を通じ蓄積してきた経験と研ぎ澄まされたカンが叫んでいる。
（こいつだ）
　残りの丼とポテトサラダを手早く片づけ豚汁を飲み干すと会計を済ませ、ごちそうさまと小さく告げて店を出た。そのまま十数メートルを歩き、物陰に身を潜め寝子野家の店舗を見つめる。窓の向こうで、男が早くも注文した二本目のビールが届くのをじっと眺めた。
　三十分ほども経った頃、男は千鳥足で店を出てきた。顔を真っ赤にして、口元には牛丼のタレの飛沫が飛んだまま。仕事にはプライドを持ち完璧にこなしてみせるが、スイッチがオフになれば生活にはだらしなく隙を見せる。そのようなタイプだろうと清恋は男を見た。
　男がとおり過ぎるのを待ち密やかに尾行を開始する。
（ふ。寝子野家様様ね）
　偶然の発見もそう。それに今の清恋には気力も体力も満ち満ちている。月見牛とじ丼のもたらしてくれるパワーは頼もしく、この先男がどこまで行こうと、どこまでだって追いかけられそうだ。
（絶対に逃がさない）

　深く静かに清恋は没入してゆく。目を細め忙しなく揺れる男の背を射抜くように見据える。油断するまい。研ぎ澄まされた猟犬の牙を男の喉笛へと食い込ませる、その瞬間まで。