ろっこんが消えた日｜リアクション

ろっこんが消えた日

　すっきりと晴れた日曜日。桜井ラッセルは青いウインドブレ―カーを着て九夜山に分け入った。
　あまり利用しない海岸沿いを黙々と歩く。喉が乾けば背中のリュックからスポーツドリンクを取り出し、口を付けて一気に呷った。
「かー、たまんねー。お、野鳥じゃん」
　リュックからスケッチブックを取り出した。近くの枝で羽繕いを始めた鳥の特徴を休まず描く。
　時間にして三十秒弱。海風に誘われた鳥は大空に飛び立った。
「俺もいくかな」
　ラッセルは青い空に目を細め、急斜面に挑む。最初は足だけで登っていたが、途中で手を使い、滑りながらも難所を乗り越えた。
　その後も足を止めては野鳥をスケッチブックに収めた。
　時間と共に冒険心に火が点いた。珍しいものを求め、木々の暗がりを突き進む。
　視界が開けた。突き出た崖の周囲に木々はなく、海の果てを眺めることができた。
　ラッセルは先端に近いところで胡坐を掻いた。背負っていたリュックを傍らに置き、ごろんと後ろに寝転がる。
　手足を存分に伸ばして大空と向き合った。小さな影絵のような鳥がゆっくりと横切る。
「……気持ち良さそうだな」
　仰向けのまま金の鍵を握り締めた。が、ろっこんは発動しなかった。
　怪訝な顔で上体を起こした。掌の鍵をじっと見つめてしっかり握る。親指の爪の先が白くなった。
「なんでだよ！？」
　声を荒げたラッセルは瞬時に笑顔を作る。
　――カナリアだけなれねーんだろ。そんな時もあるよな。今まではなかったけど。
　焦った手付きでスケッチブックを開いた。素描された鳥を見ながら今一度、鍵を強く握り締めた。
「……ダメだ」
　一言で項垂れる。五分ほど、頭を下げていた。
　上空から鳥の鳴き声が聞こえてラッセルは顔を上げた。
「俺は、もう、あんな風には飛べないんだな」
　猛禽類なのか。翼を広げたまま旋回して飛び去った。
　ラッセルは視線を落とし、掌の鍵を見つめた。
「……いつか、こんな日がくると、思っていたんだ。それが今日なんてな、ははっ」
　泣きそうな顔で無理に笑う。
「お疲れ、俺のろっこん。いっぱいの思い出を、ありがとな。お前のおかげで人間ではわからない世界を知った。鳥と話せたのもよかったよ」
　鍵を指先で撫でる。細かい傷が冒険の日々を鮮明に思い出させた。
　ラッセルは潤む目で言葉を続けた。
「たくさんの出会いがあったな。カナリアになって情報伝達に励んで、偵察なんかもして、皆に感謝された。誇らしい気分になったよ……お前あっての俺だったんだな。だけど、今は……」
　顔を上げた。大きな深呼吸を繰り返し、ありがとな、と言って鍵を手の中に優しく包み込む。
　しんみりとした状態は長く続かず、勢いよく立ち上がった。リュックを背負い、登ってきた時に出来た轍に目をやる。
　――相棒のお前がいなくても、俺はちゃんとやれる。どこかで見てるんだろ？　見せてやるよ、俺の力ってヤツを。
　軽いストレッチのあと、ラッセルは下山を始めた。
　足に踏ん張りが効かず、頻繁に転んだ。ズボンに付着した土を払うのが億劫で斜面を懸命に下る。
　三回目の休憩でラッセルはスマートフォンを手にした。友人の一人に電話を掛けて、ろっこんの状態を聞いた。
　喋りながら何回か頷いた。最後は苦笑いで励まし、通話を終えた。
「……俺だけじゃないんだな」
　憂いを帯びた目でふらりと立ち上がる。顎先から滴る汗を手の甲で拭い、力強い一歩を踏み出した。
「俺はこれからも頑張るからな！」
　鍵を握り締めたラッセルは挑戦者の顔付きで下りていった。

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