真紅の月｜リアクション

真紅の月

　空には紅い月。普段より大きく見える月。
　なんとか間に合って『現在地（という名目の場所）』にウォルターより先に柚春はたどり着いた。七転八倒して服を着たがなんとか見られる格好、靴を履くのとダッシュ開始はほぼ同時だった。問題は呼吸を整えるより先に、ウォルターのスポーツカーが見えてきたことだ。
「待った？」
　ウォルターが運転席から首を出す。
「ううん全然っ！」
　走ってきたことをかくすべく、柚春は大きめのゼスチャーで首を振った。
「よかった。さあさあ乗ってよ」
　走ってきたのがばれないようゆっくりと助手席に座る。
「アロマ」
　前を向いたウォルターが出し抜けに言った。
「えっ？」
「今日、あまり香りがしないんだね。サンダルウッドとか」
　さすがワット、鋭い。
　入浴直後であり用意する時間もなかった。
　だがウォルターは特に気にする様子もなく、
「あまり遅くなるわけにもいかないねぇ、海岸沿いを軽く流して紅い月光を浴びるとしよう」
　とギアを入れたのである。
「いいね。お月見ドライブって感じ。ワットの車は寝子島では目立つから」
「そりゃあ目立つさ。なにせ助手席にきれいな女性を乗せてるんだからねぇ」
　あまりに軽い口ぶりなので、柚春も正面からは受け止めない。
「ワットってば、誰が乗っても同じこと言ってきたでしょ」
　ちょっとむくれ気味に言ってみる。
　そんなことないさ、稲積にだけだよと言ってほしいところだったが、悠然とハンドルを握るウォルターはそういう気分ではないらしい。「そうかも」とあっさりしたものだ。
　多少うざったい女と思われようが、ここは怒っておくべきかもしれない。でも柚春は聞き流すほうを選び、紅く照らされる砂浜に目を向けた。
「ねえ、少しでいいから、砂浜を歩いていい？　ワットと」
　音もなくスポーツカーは海辺の道に停まり、柚春はウォルターと紅い月夜をわかちあう。
　誰もいない海、潮の香り、波音のBGMと赤い砂浜、やわらかな砂を踏みながら海と平行に足を進める。
　幻想的な光景だ。寝子島のようでいて寝子島に見えないというか。
「なんだか千夜一夜物語に出てくる砂漠みたいじゃない？」
　うっとりした目で柚春は言うも、
「というよりは火星かな」とウォルターは返すのである。彼も想像の翼をはためかせていたようだが、柚春とは方向が異なるらしい。
「火星？」
　きょとんとして聞き直す。
「うん。ところで僕は火星人には好みがあってねぇ、タコ型、昆虫型、緑のこびと型……」
　火星人襲来ときたか。ロマンティックとはほど遠い話題だが柚春は乗っておく。
「ワットはどのタイプの火星人が好きなの？」
「火星の王女様だね」
「顔がタコだったり？」
「とんでもない、絶世の美女だよ。古典SF小説永遠のヒロインさ。ちょっと稲積に似ている」
「またまたぁ」
　今夜のウォルターは柚春を翻弄したい気分なのだろうか。急に容姿を褒めちぎったりして。唐突で戸惑う反面、けっして悪い気はしないのだった。柚春はほおが熱い。
「似てるって、どのあたりが？」
「髪色かな。あと、僕を月夜の砂漠の散歩に誘うところとか」
「ははは、じゃあワットは火星のヒーローってとこ？」
「大元帥と呼んでほしいね」
「大元帥！？」
　ウォルターの話したるやあっちこっちへ飛びまくり意味がわからない。だが柚春が驚いたのはよろめいたからだ。昼間に子どもが掘ったものだろうか、砂に足を取られたのだ。
　ウォルターの行動は早い。
「姫、ご無事で？」
　柚春を抱きとめるようにして支える。
「大丈夫だよ、私の大元帥」
　なので柚春も彼につきあって、胸に頭をあずけてみせた。

　自宅そばで道を指さして「じゃあこのあたりで」と柚春は言った。
「奥まったところにあるんだねぇ。まだ降りなくていいよ、バックしてもう少し寄せるから」
　ウォルターは助手席シートに手を置いて、振り返ってバックギアを入れた。
　シート越しだけど、ワットに抱き寄せられてる……？
　彼の横顔が近い。気分的には数センチだ。
　ふと思いつくとたまらなくなって、柚春は発作的に首を伸ばしウォルターに口づけようとした。
「わっ！」
　ところが柚春の息がかかったせいか、驚いてウォルターは伸び上がり、車の天井に頭をぶつけたのである。
「おいおい、運転中にたわむれはよしてよ。びっくりするからねぇ」
　怒っている様子ではないが、ウォルターは苦笑いしていた。
「あ、ごめん」
「お客様、車両走行中は冷静にお願いします」
「はーい」
　両手を膝において身を小さくし、でも上目づかいで柚春は質問した。
「じゃあ車両停車後なら、冷静じゃなくたっていい？」
　彼の答えは――。

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真紅の月

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