真紅の月｜リアクション

真紅の月

　五回呼び出し音が鳴って出なければやめよう、そう決めていただけど、
「やぁ、稲積かい？」
　ちょうど五回目のコールでウォルター・Ｂが出た。
「どうしたの？」
「ええと、その、どうしてるのかな、って思って」
「どうって？　まあ、駐車場に向かってるところだけど」
「ど……どこの駐車場？」
「変なこと聞くねぇ」笑い飛ばすようにウォルターは言った。「もちろん学校のだよ。今日は残業、新年度の準備が忙しいのさ、これでもね」
「よかった」
「よかないよ。仕事が忙しいのは全然嬉しくないからねぇ、僕は」
「ああいや、そういう意味じゃなくって。その、僕と出かけていない日、誰かと一緒にいるんじゃないかって不安になって」
「誰って？　ああ、ついさっきまで妙齢の女性とお話してたけどさぁ」
「……それって家庭科の白沢先生とかじゃなくて？」
　白沢絢子は家庭科担当の教師だ。ウォルターからしても母子ほど年齢が離れている。
「あたり」くっくっくとウォルターは笑った。「稲積にはこういうひっかけが通じないのかなぁ。残念無念」
　残念？　もしかしたらワット、僕にヤキモチ焼いてほしかったのかな。
　そんな気がしたがあえて追求せず、
「ワット！　からかうものじゃないよ」柚春は語気を強めた。「僕だって胸騒ぎのひとつくらい抱くんだから」
「失敬。でもねぇ胸騒ぎなんて、たいてい気のせいってもんさ」
　電話越しにスポーツカーのロックが外れる音がした。ドアの開閉音も。ウォルターは乗りこんだらしい。
「稲積こそどうしてるの」と彼が告げたとき、とっさに稲積はこう言ったのである。「外だよ。今夜ほら、とても月が紅くてきれいだから夜の散歩してて」やや早口になる。
　本当は自宅だ。それどころか着替えも終えており、あとは就寝まで時間をつぶすだけの状態だった。でもまだ『おやすみ』を交換して会話を終わらせたくはなかった。
「たしかに珍しい月だよね。どうやら二、三日はこうらしいなぁ。月下のそぞろ歩きなんて風流だねぇ」エンジンのかかる音。彼は言う。「俳句でも詠んでみたら？」
　そろそろ切るよと言われそうな気配に、食い気味に柚春は言葉を継いだ。
「月清し　君を想いて　迎え待つ」
　瞬間的に考えたものだ。
「え？」
「は、俳句っ！　アドリブで詠んだから！」
　紅潮しつつ言い切った。電話なのでウォルターに顔が見えていないのが幸いだ。彼の誘い水から逃げたくなかった、その一心だけで思いついた五七五をならべた。俳句としての完成度などわからない。
　だけどウォルターは気に入ったらしい。「ほほう、これはこれは結構なお点前で」と言ってから告げた。
「あるかないかの詩情が刺激されちゃったよ。いい句だしご褒美、月見がてら家に送ってあげよう。ちょっと寄り道になるかもだけど、紅月夜（くれないづきよ）のドライブなんてもオツなものさ。すぐ行くから待ってて」
「……！」
　柚春は言葉に詰まった。なにせ実際は家なのだ。不自然でない場所、しかもウォルターの車より先に到着できる場所にいると言わねばならない。しかも、いまから外着に着替えなければ！
　まさか現在の柚春が見えているわけでもあるまいが、ウォルターは楽しそうにこう言った。
「で、稲積はどこにいるのかなぁ？」