真紅の月｜リアクション

真紅の月

　食べ終わった後の予定は決まっていた。
　旧市街をめぐってぶらり古書店巡りをするのだ。
　回る店はおおまかに決まっている。最後は古書喫茶『思ひ出』でお茶をして帰ることになるだろう。
　軽く公園を歩いて旧市街に入る。
「珪さん」
　綾花は手を伸ばして、自分から珪の手を握った。珪も受け入れる。このごろではもう、学校外で珪が、綾花と手をつなぐことに躊躇しないことも多くなってきた。
　最初に向かった古書店は、残念ながら店主急病につきの臨時休業だった。ぎっくり腰とも書いてある。
「おっと残念、お大事に」
「腰ですか……。早く良くなるといいですね」
「本って結構重さがあるからなあ。僕も気をつけないと」
　二店目は予定外の場所で見つかった。別の古書店の倉庫だと思っていたが、休日だけ店として開けるようになったらしい。
「ここは知らなかったよ。入ってみていいかな」
　言うそばからもう、本好きの血がさわぐのか珪は興味津々の顔をしていた。
「もちろんです」
　綾花も迷わず応じてのれんをくぐった。
　古書店特有の香りがする。長い年月を経た紙とインク、分厚い本の装丁からかもされる独特の匂いだ。バニラに似ているようでもあるし、苅りたての芝のようでもある。湿った感じだが決して嫌ではない。むしろ綾花はこの匂いが好みで、包まれていると落ち着くほどだ。
　入ったところで二手にわかれ、それぞれ興味のある棚を眺めた。
　左右ぎっしり本で作られた通路をめぐって、『写真集』という一角に綾花はたどり着いていた。
　色々ある……。
　アマゾンの鳥を集めたあざやかな表紙、古代都市の遺跡をたくさん撮りためたもの、仏像の写真集も海外彫刻の写真集も見つかった。とりわけ綾花の目を惹いたのは、分厚い月の写真集だった。
　こんな本があるんですね。
　迷わず手に取り重さに驚きつつ、ぺらぺらめくっていく。
　あっ。
　声が出そうになった。昨日のような赤い月の写真を見つけたのだ。色がそっくりだ。撮影されたのは二十年近く前だというのに。
　思わず本を手に珪の姿を探した。
「珪さん、昨日の月のような写真を見つけたんですよ」
　見てください、と該当のページをひらく。
「ああ、昨夜撮った写真みたいだね」
「なんだか今見ても神秘的で綺麗って思いませんか。あ、でも……不吉って感じるかも」
「いや、そんな風には思えないよ」珪は笑顔を見せた。「さっき、ハンバーガーを食べながら話したおかげかな。新たな始まりを象徴しているように見える。幻想的だとは思うけど、怖いという気は僕はしないな」
「これは六月の、さっき言ったストロベリームーンのようですね」
「撮影場所は小笠原諸島か。寝子島にストロベリームーンが昇ったら見比べてみたいね」
「決めました。私、この写真集購入します。六月に、本物を前にしてめくりたいです」
　値段も手頃だ。もちろん二束三文ではないものの、定価の半額以下である。絶版本なのはまちがいないが、きっとそれほど需要はないのだろう。
「いい買い物をしたね」
「見比べるときは、赤ワインといちごジュースで乾杯しませんか？」
「それはまたいい提案だ。楽しみだよ」
　珪はうなずいた。
　珪さん、私との将来を否定しない。むしろ歓迎しているみたいに見えます。
　いい本を見つけたことはもちろん、この気づきを得たことこそが綾花には僥倖といえようか。
「珪さんは気になる本ありましたか？」
「そうだねえ。僕のほうはまだピンとくるものがないな。この本、写真集のコーナーで見つけたんだよね？　僕も行ってみようかな」
「ええ、たくさんありましたよ、写真集」
　案内しますと言って綾花が先行すると、案内されようと珪もほがらかに応じた。
　春の陽気のせいだろうか。いつもよりずっと、彼との距離が近い気がした。
　珪さん、気に入ったものが見つかればいいけど。
　見つかって買うことになったら、いずれお互いで貸しあいたい。