真紅の月｜リアクション

真紅の月

「先生すいませんっ」
　この日はじめて綾辻綾花が、早川珪に直接告げた言葉はこれだ。ぺこりと頭を下げる。
　ジャスト正午、公園の入口だ。「そんな恐縮しないで」と珪は笑って手を振った。
「僕も食べたいと思っていたから、ちょうどね」
　もう片方の手に持ったファーストフードの紙袋を、ひょいと持ち上げて示す。有名なロゴマークだ。でもキャットストリートに限っても三店はある某最大手とはちがい、このチェーンは寝子島全体で一店舗しかない。
　この日、『ランチはどうする？』という珪からのNYAINメッセージに、『ハンバーガーショップのテイクアウトなんてどうですか？』と綾花はなんの気なしにレスを送った。この時点では本当に、某最大手のお手軽セットで十分だと思っていた。
　例のバーガーなら特にごちそうではないがそれなりにおいしい。リーズナブルだしお腹もふくれるだろう。今日は公園デート、綾花にとって大切なのは彼と一緒に外で何か食べ楽しいひとときを過ごすことであって、何を食べるかではないからだ。
　ところが意外にも『いいね、じゃあフレッシュニャンバーガーで買って持っていくよ』と珪は即答したのだった。『綾辻さんのリクエストは？』とも。
　同じハンバーガーなら、どこにでもある店よりフレッシュニャンのほうがずっといいだろう。フレッシュニャンは価格帯が上がる。だがそのぶん食材の質は大きな差があった。バンズは甘みがあってしっとりとやわらかく、野菜はすべて契約農家から取り寄せたものでありシャキシャキだ。なにより主役たるパティ（ハンバーガー）が、よそとは異次元に段ちがいに味わい深いのである。ポテトだっていつもホクホク、ドリンクも美味かつ独自のラインナップである。
　しかしフレッシュニャンの店は珪の家からは遠回りだった。ほとんど正反対といっていい。だからしきりと綾花は遠慮したものの『いいって、僕も久しぶりに利用するし』と彼は労をいとわなかった。
　料理するのは苦手な珪だが、食べるほうについてはこだわるときもあればそうでないときもあるようだ。学食ランチで、チャーハンにうどんという組み合わせを「チャーハンの脂分が素うどんのアクセントになりそうだ」などと楽しんでいることもある一方で、フォークが尽きたのか箸のみでスパゲッティを「こういうのもありじゃない？」と気にせず食べることもある（※）。
　だから今日、彼がわざわざフレッシュニャンを選んで買ってきたのは。
　私のため、って思っていいんですよね。珪さん。
　綾花はハンドバッグの持ち手をつかむ両手を、きゅっと握りしめた。
「買ったあとは急いだからね。冷めないうちに食べよう」
　行こうよ、と珪は綾花に微笑みかけた。

※もちろん和風スパというわけではなく、ただのミートソースである。

　お花見のシーズンはもう少し先だ。そのためか休日の公園は人通りがまばらで、休憩する場所には困ることがない。
　噴水の見えるベンチに並んで座った。
　お手拭き使う？　と別に持参したウェットティッシュの個包装を先渡しして珪は紙袋をあけた。
「はい、綾辻さんはフィッシュバーガーだったね。こっちはオニオンリングとポテトの包みだよ。あとオレンジジュース」
　てきぱきした彼のサーブは、一流ホテルのコンシェルジュのようだ。
「ありがとうございます」
「僕はマッシュルームバーガーにしたんだ」
　珪のドリンクはホットコーヒーとのことだ。いわく「ちょっと冷ましたくらいのほうが好きなんだよね」とのことである。
「これ知ってた？」バンズを剥がして珪はハンバーガーの中身を披露した。「バンズとパティサイズのジャンボマッシュルームが、分厚くスライスされて入っているんだよ。いやあ壮観だ」
「壮観、ですか」
　彼が楽しそうなので、綾花も釣られて笑ってしまった。
「マッシュルームバーガーっておいしいんですか？」
「実はマッシュルーム自体は大味でそこそこなんだけど」珪は、彼にしてはずいぶんと茶目っ気な目をして言う。「まあフレッシュニャンはパティもバンズもおいしいからいいんだよ。気持ちの問題」
　なるほどそういうものらしい。