真紅の月｜リアクション

真紅の月

　ガレージの外、両腕で芹香を受け止めたのは獅百合である。クーペの運転席で立ち上がっている。

「どうもお久しぶり、Greedy Catsの顔役兼治安悪い担当だっ」
　真っ白な歯を見せて獅百合は笑った。
「声でけーよ……」
　芹香は虫の息だが、しゃべれるのなら大丈夫だと獅百合は判断した。芹香を後部座席に積みハンドルを握る。
「シートベルトしてもらってる暇ねーから一言だけ、『しっかりつかまってろや！』」
　言うなり一気に加速する。
「おいぶつかる！」
　芹香は青ざめたが、
「ぶつけるわけねーって！　新車だぞ！」
　志桜里は鋭くハンドルを切った。猛然と土埃が立つ。ドーナツターンの要領でマシンは真横を向いた。
　タイヤが焼けるかぐわしき馨（かおり）っ！　電子制御壊れてるから滑らせ放題だねぇ。
　上唇を舐める獅百合である。ここに踏みこむ直前、志桜里が車の安全装備スイッチをのきなみOFFにしていたのだ。
　その志桜里が、待ってましたとばかりにガレージから転がり出てきた。助手席に飛び乗る。
　出してと言われるより先に、獅百合はアクセルをベタ踏みしていた。

　紅い月に照らされる夜の寝子島、とりあえず橋を目指してクーペは走る。
　芹香が身を起した。
「おめーらこの車」
「買いまして」志桜里が言う。
「音楽の稼ぎで」これは獅百合だ。
「なんだ盗んだのかと思った。チクショー、いい車乗ってんじゃねーかオイ」
　すでに悪態がつけるほどに怪我は癒えてきたらしい。芹香のタフな『ろっこん』を、『レストインピンチ』と名付けたのは志桜里である。
　たてがみのごとく髪をなびかせ獅百合が言った。
「とんだ逆サプライズを貰っちゃったわけだけど、どんな恨みを買ったらこうなるのさ芹にゃん」
「知らねーよ。なんか得体の知れないガキがガレージに忍びこんでてさ、パスポートを焼くだの、私のこと風の精だの」
「とんだとばっちりね」芹香の言うとおりなのだろう。だとすれば、志桜里としても首をすくめるほかはない。「ひょっとして人ちがい？」
「……たぶん」
「追ってくる気配はなさそう」獅百合はちらちらとバックミラーを見ている。「このバカっ速い車についてこれるとしたら、それこそマジモンの風の精くらいだろうね」
　橋を渡っても車は止まらない。東へ向かう。
「追ってくるにしろ来ないにしろ、念のため左回りの法則にはあらがっておこうかな、ってね」
「何があったのか知らないけど夜明けまでドライブ続行ね。ときには逃げの一手が最強ってこともあるの」
　嫌がるかと思いきや、芹香は素直に応じた。
「それがいい。正直、おっかなかった」
　思い出して肌が粟立ったのだろうか、しきりと芹香は腕をさすっている。負傷した肘も膝もすっかり元通りのようだ。
「夜が明けたら服を買いに行こうか、バカンス向きのヤツを」獅百合が言うと、
「バカンス！？」芹香は目を丸くした。
「そうね。プレ卒業旅行な逃避行ってのも面白いかも」志桜里は獅百合の考えていることがわかっている。だから思いっきり楽しげに応じた。「行く先は海沿いかそれとも山間の温泉か、いっそぜんぶ気のすむまで回りながら逃げよっか？」
「おいおいGreedy Cats、オメーら仕事はどうすんだよ？」
　という口調からして、芹香はこのアイデアに乗りたくてうずうずしている様子だ。獅百合が言う。
「生業の収録はもともと島外だからよし、道場はしばらくお休み、とりあえずは何日か様子見……クロとちがってぜんぜん韻が踏めないや」
「悪くないよシロ。『道場はしばしお休み、数日間ほどの様子見』のほうがリズミカルかもだけど」
「うーん、たしかにそうかも」
「なんだか楽しくなってきたなー」
　わははと笑っていた芹香だがそれきり黙った。ミラー越しに見ると背を丸めている。
「どしたん芹にゃん？」
「車酔い？　コンビニでも寄って休憩しようか」
　振り返りかけた志桜里だがやめた。
「……いい」
　と言った芹香が涙声だったから。
「助けてくれてありがとう」
　蚊の鳴くような声で芹香は付け足した。
　獅百合がちらりと志桜里に視線をむけた。合点承知と志桜里はライミングする。
「道場は（Aye）しばしお休み、数日間（Uhh）ほどの様子見
　けれど私リリックで、君に届けるさこのメロディ
　風の精じゃないうちらLIVEの精、かかってこいやガッツだぜい
　言葉で導く旅の道連れ！ On the Road Now（Grrrraah）!」

　もうじき夜明けだ。

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真紅の月

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