真紅の月｜リアクション

真紅の月

　紅い月が昇るのを待っていたように、黒と白、二台の車はガレージから滑り出た。
　慣し運転ってことねオーライ。
　まあ自分の場合は『鳴らし』運転かねと薄笑いして、白夜叉a.k.a DJ Scion、またの名を吉住獅百合はアクセルを踏んだ。カーステからは意識が吹っ飛ぶくらいの音楽の洪水。必要十分な音響ではあるが、プロとして言わせてもらえば重低音は申し分ないが高音のほうは少し足りない。いずれ調整したほうがいいかもだ。
　アクセル踏みすぎた。車輪が空回りする感覚があったがそれも一興、すぐにタイヤは地面とかみ合って、獅百合のクーペを夜に吐き出す。
　ぎゃりっと音がしたと思う。自分の車からも、ならぶ志桜里のカーからも。
　いいじゃん。
　卒業間近の深夜ドライブっ！
　神様ならぬ紙様のおぼしめし、獅百合がDJ志桜里がMC、Three MC's and One DJならぬ1MC1DJのユニットGreedy Catsの活動は現在それなりに好調だ。徴税増税インボイス、小銭拾い大好きの行政は小規模事業主から搾り取ることに余念ないが、それでも音楽活動だけで捻出した頭金、迷わず獅百合は車両のローン購入にぶっこんだのである。自分よりはもうちょっと経済観念のある志桜里も道連れ、おそろでひとり一台ずつ購入したのは界隈的には格安、だがれっきとしたハイクラス高級車だった。まだ獅百合志桜里とも免許取り立て双葉マーク、なのに人もうらやむラグジュアリークーペが初マイカーだ。バット握ったばかりの小学生がバッセン160キロの剛球に挑むほどの無謀、けど獅百合は知っている。無謀だからこそ面白いのだと。
　白いボディにタン革の内装おまけにオープン……最高にいかついねぇ！
　こいつは鮫だ。Great Whiteだ。餌食求め紅い夜をクロールするのだ。
　風が獅百合の髪を吹き上げる。
「オラ！　クロ、ついて来いよ！」
　AT限定免許じゃこいつはできない。高速でクラッチ切って急加速すると、小癪なことにクロこと志桜里も負けじと並んだ。
　怪物だねこのクルマ。
　自動車免許教習所のお行儀のいい高級車とはまるで逆、軽い動作でもいちいちうなるエンジン、目に余るほど熱烈反応、ハンドルミスでもしようものなら、涅槃で待つ羽目になりかねない。
　草木も眠る時間帯、獅百合の走行を阻むものはない。

　シロ（獅百合）の浪費癖に乗せられてしまったっ。
　型落ちで格安、それでも２ドアクーペはまさしく、タイヤのついた一財産、悪友芹香の親父様のツテがなければ、夢に見ることすらかなわなかった憧れのクルマだ。乗り心地は極上、アホが乗るアホの車みたいなオープンカーはシロに任せて、自分は知的なコンバーチブルを選んだ。まあこれだっていつでもオープンカーにできるわけで同じアホならのそしりは免れまいが。しかしみなわかっているだろう。同じアホならどっちが得か。
　挑発気味に獅百合が前に出た。
　ほう。
　後塵を拝する志桜里ではない。一息で追い返しまた追い抜かれ、抜き抜かれつ紅い夜を競い合った。
　こころゆくまで競い合ったのち、急に獅百合が減速した。島外にかかる寝子島大橋の前で停止する。
「どうしたの？」呼びかけると、
「そこのライン、見えるか？」獅百合があごをしゃくった。
「ライン？」
　たしかに橋と道路を分かつ線がある。
　さすが姉妹というか、元は同一人物というか。志桜里は事情を理解していた。
　のろのろと速度を落として獅百合が線の前に停車した。志桜里も並んだ。二車線。
　黒と白、二台の自動車が停まったところで、
「ここ信号ないよね。合図は？」問う志桜里に、
「カウントスリーでどうだい？」応じる獅百合、まさしくツーカーというところか。
　エンジンをアイドリングさせたまま、息を合わせて声を出す。
「スリー」
「ツー」
「ワン！」
　ドラッグレース、直線をただ走り競うという究極のモーターかけっこだ。
　あまりの速度に月ですら、彼女らを見失ったことだろう。