【サイドクエスト『未知なる探求』　心臓＜エンジン＞（２）】

「す……すごいじゃない、これ」
　ロサヴィアは驚嘆した。といっても思わず言葉をもらしたのはプレイヤーたる仙藤 紫であり、目を見開いてＶＲ世界の広がりや奥行きに見入ったのも彼女自身だ。
　降り立ったサイディア王国の街並みは文字どおりにきらめいていたが、それ以上に精緻かつ奥行に満ちたグラフィック、人いきれの熱気や風のそよぎや運ばれてくる草の香りさえかぎわけられそうな、圧倒的なリアリティに紫は呑まれた。最初のクエストを受けたり装備を変更するのさえ苦労するほどのゲーム音痴だった紫も、いつしか広大なリキッド大陸のどこまでも見たくなり、夢中で歩き回りバトルに冒険にとあちこちへ繰り出すうち、すっかりハマっていた。
「蒼にはまだヒミツ。だけど」
　『LIQUID』の先達たる妹はもはやベテランプレイヤーの域に達しているが、もうしばらくはその手を借りることなく、初心者ならではの新鮮な戸惑いと試行錯誤を楽しもうと思う。
「今は別人だし、蒼と会っても気づかれないかもね」


　ロサヴィアは直近のアップデートとともに実装された新しい英雄キャラクターで、サイディア王国の近衛騎士団長をつとめた、歴代最強と目される女騎士だ。燃えるような緋色の髪をなびかせ、柔も剛も使い分ける巧みな剣術であらゆるモンスターを斬り伏せ、国の危急を何度も救ってきた、まさしく英雄の中の英雄であった。前人気も高く、実装されてみれば高性能、クールな面立ちながら元騎士団長の肩書きとは裏腹にウィットに富んだ親しみやすいキャラクター、セクシーで今風の垢抜けたデザインも相まって、すっかり人気キャラ・人権キャラとの評が定着していた。
　そんな英雄キャラを、紫はスタート時に配布される無料チケットにてゲットするという幸運に恵まれたのだが、いまひとつそうしたガチャ文化にうとい彼女は、なんだか素敵な子が出てくれてラッキーね。くらいの感じだったりした。
「あ、今の私はロサヴィアなのよね。ロサヴィアらしく振る舞わなくちゃ」
　初めてのロールプレイにも余念がない紫は、クエストを重ねていった。定番のゴブリン退治、下水道のスライム掃討。ストーリークエストの序盤をかじりつつ手を広げ、多くのサイドクエストもこなしていった。早い段階からレイドダンジョンにも繰り出し、タワー・オブ・ソーマやネクタール実験場から産出するレアアイテムで装備を充実させれば、自然とレベルも上がってゆく。
「うん、だいぶ慣れてきたわね」
　いつしか紫のロサヴィアは、一人前の冒険者へと成長していた。



　サイドクエスト『未知なる探求』へ目を留めたのは、そんなふうにお気に入りとなったこの世界のどこまでも、すみずみまで見てみたいと思ったからだ。初老の冒険家、クエストの案内役であるらしいハルコンという男との出会い、秘境の果てでのたびたびの再会を経て、紫は文字どおり未知なる探求へと出かけることとなったのだ。彼、ハルコンもまたリキッド大陸の地図を完成させるべく、世界中を旅し、各所で見つけられる驚くべき景観の数々を楽しんでいた。まっさらな地図へ、自分なりの歩みと足跡を刻んでゆく。その果てにあるという未知なる地、秘された真実を解き明かさんとする、それは紫にとっても長い旅路となった。
「＜秘石の剣＞よ、閃いて……！」
　デュアルガーディアン、ロサヴィアの持つ石剣は太古の昔、古代民族＜月の民＞が鍛えたといういわくつきの遺物だ。
「＜黒曜剣＞！！」
　刀身を多様な鉱石へと変化させ、秘石の力を引き出す奥義は、いかなる敵も打ち倒した。闇色の竜巻を起こしオークの一団をずたずたに切り裂くと、パーティメンバーからも歓声が湧き立つ。
　そう、仲間も増えた。
「素敵です、ロサヴィアお姉さま……！」
「綺麗で、強くてカッコよくて、憧れちゃいます。さすがあたしたちの団長！」
「やめてよ瑠璃、真珠。このくらいなんてことないわ。それに元団長、よ」
「その飾らない謙虚さが……美しすぎます……」
「きゃーっ！　どこまでもついていきます、ロサヴィア姉さま！」
「もお……」
　オラクルリンカーの瑠璃、ミニオンウォーデンの真珠もまた、元サイディア王国騎士たちだ。年端もゆかぬ少女たちに見えて、最強騎士ロサヴィアと肩を並べて戦える実力の持ち主であり、彼女に並ならぬ憧憬と思慕を抱いている……という設定の英雄キャラで、冒険のさなかに出会ったこのふたりも徹底したロールプレイが楽しく、そしてちょっぴり恐縮してしまう、なんだかんだと多くのクエストをともにした仲間となっていた。ちなみに設定上、ふたりは姉妹ではないらしい。
　ともかく、おかげで地図を埋めるのも賑やかな行程となった。サイディア周辺から手を付け、ワインツへ渡り、北上してスピリスタをめぐり、今度は南下しコーフィルを網羅した。ウーローンや玉楼への旅は、住人たちの装いや建築の意匠は馴染み深くもあり、ふたりのはしゃぎようが微笑ましくもあり、ことに印象深い一幕となった。



　そんなふたりとひと時分かれて、今、ロサヴィアが歩んでいるのははるか北方。カーネフォラ海の奥深く、さりとて海水に呑まれもせず水圧に圧死するでもない、不思議な空間だ。
　含蓄深い先達ハルコンの導きもあって、古代文明の遺跡を紐解き、示された情報を解読し、行きつく先を割り出していった。禁断の果実の薄皮を一枚また一枚とめくってゆくような謎解きの数々は、理知的で凝り性、なにごとも集中して取り組むたちの紫をいささかのめり込ませたらしい。
　変わらず三人で訪れても良かったが、クエストの締めくくりはひとりで赴くことにした。
　海底に海水はなく、すり鉢状にくぼんだ大地には、外周からとめどなく滝が流れ込む。中央には宇宙船めいた、というよりそうとしか見えない奇妙な船が横たわっており、流れ込んだ海水を周囲に取り込み、碧緑色のかがやきを与えると、ポンプのように外海へ送り出している。
　紫は宇宙船へ近づくと、ためらいなく内部へ踏み込んだ。これこそが未知なる探求の果てにあり、真実を内に眠らせているのだと半ば確信があった。
　そうしてたどりついた、おそらくはコントロールルームのような、宇宙の地図とも呼ぶべき星図を中央にまたたかせる部屋へとたどり着いたところで、
「あら。先客かしら」
「あっ、あなたも地図を埋めたの？」
　同じく探求の同輩、マシロと出会ったのだった。