【進路・合格発表】寝子島に、サクラ咲くころ｜リアクション

【進路・合格発表】寝子島に、サクラ咲くころ

　◆絵を描く人

　逃げる信彦と幸次。追いかける屈強なラグビー部員たち。
　合格して歓声をあげている者。不合格で嘆き悲しんでいる者。
　人の姿は悲喜こもごも、カオスな様相を呈してきている。
「これもまた芸術と言えなくもない、か」
　旅鴉月詠は喧騒から一歩離た合格発表の様子がよく見える場所で、スケッチブックを広げていた。
　と、ラグビー部から逃れたらしい信彦と幸次が、月詠の方へ走ってくる。
「ようやく撒けたよ……って、ツッキーじゃないか！」
「やあ信彦。元気そうで何よりだ。見たところ二人とも合格なようだね」
「お陰様でね。ツッキーはびっくりするほど平常運転だね。合格発表見に来たんじゃないの？」
「私？　もう見たが」
　当然、合格だ、と月詠は言った。
「芸術学部だ。芸術を極めるには学業も必要なのだ。疎かにする私ではないよ」
「おめでとう！」
「ありがとう。君たちもおめでとう」
　月詠はそう言って信彦と幸次と握手をしたが、嬉しいというほどの感情は感じられない。
　マタ大は余裕のよっちゃんだったということだろう。
「ツッキーほどの腕前だったら、もっと有名な芸大とかも狙えたんじゃない？」
　そう信彦が尋ねると、月詠はゆるゆると首を横に振った。
「そこまで興味がない。今のところ寝子島を離れる気もないしね」
　大学に行くことにしたのは学ぶこと以上に、コネを作るためだ。今も芸術家であるが、芸術家として大々的に活動していくにあたって様々な人間とのコネクションを持つ事によって仕事が振られたり多くの芸術に出会える事だろう、と月詠は考えている。
　それに芸術を愛する月詠のような人種は、やもするとアトリエに籠りがちになる。しかし引きこもって没頭しているだけでは見えてこないものもある。インスピレーションは唐突に降ってくるものだ。大学生活は、インスピレーションを受ける為の知見を広げる事にもなるだろう。
　というようなことを滔々と語ったら、幸次が「そこまで考えてるんだねぇ」と神を見るような目になってしまった。
「それにしても、合格発表の日に絵を描く人がいるなんて思わなかったなぁ」
「ツッキーは突き抜けた芸術家だからね。で、今は何を描いているんだい？」
「合格発表に群がって一喜一憂している者達を写真に納めた後にスケッチしているところだ」
　月詠のスケッチブックの中には、ラグビー部の屈強なお兄さんや、合格者が胴上げされてる所もしっかり描かれている。
「新鮮というわけでないがこういう出来事は人生で多くないことだ。まして殆どの当事者ならこの感情は一度きりだろう。描きとめておくに値する、と思ってね」
　芸術家はやっぱりどこか、フツウと違うなあ、と幸次は感心した。
　月詠の関心事はいまや卒業制作のことに移っているようだ。
「お楽しみにね。ところで君たち、ののこを見なかったかい？　どうなったか気になってね」
　見ていない、と信彦と幸次は首を横に振る。

　月詠がののこの不合格について知るのは、もう少し後のことである。