肉体を抜け出し、夜の世界へ｜リアクション

肉体を抜け出し、夜の世界へ

　妙な浮遊感を覚えて楡宮遠海は目を開けた。
　ベッドに仰向けの姿で自分が寝ていた。強い瞬きをしても変わらない。遠海は現実として受け止めた。
　――これもまた神魂の影響なんだよね、たぶん。
　驚きは一瞬ですぐに立ち直る。冷静な目で見ていたが進展は見られない。
　床に足から着地。やや膝を曲げて瞬時に伸ばす。全力のジャンプは全ての障害を乗り越え、遠海を遥か上空に打ち上げた。
　ポツポツとした明かりの先に目を向ける。シーサイドタウンに光が集中した。煌びやかな様子に目を奪われた。
　――こんな状態、そうはないと思う。それなら目一杯、楽しまないともったいないよね。
　行き先は決まった。遠海は何度も跳んで距離を伸ばし、光の中心に降り立った。
　――道路の真ん中でも平気だよね。
　向かってきた車は遠海に当たることなく通り抜けた。満足した顔で歩道に入る。適当に決めて歩いていくと前から三人組がやってきた。大柄な男性で通り抜ける隙間がない。
「ま、関係ないけど」
　堂々と言って正面から突破した。一度、後ろを振り返ると三人組は何事もなかったように猥談で盛り上がっていた。
「これが自由なんだね！」
　人の往来がある中で叫んだ。誰も気に留めない。声が届いていないようだった。
　遠海は笑顔で洋菓子店の壁に突っ込む。店内は暗く、営業時間を終えていた。空のショーケースを見て軽い溜め息を吐いた。
　気を取り直して別のところに足を運ぶ。
「まだ、やってるんだね」
　最近、開店した本屋は眩しいくらいの明かりに包まれていた。数人の客が目当ての本を探して店内を歩き回っていた。
　それに倣って遠海も背表紙を見ながら歩く。
「これ、知ってる」
　目にしたライトノベルに手を伸ばす。指を掛けようとしたが、すり抜けた。指先の一点に目をやり、集中した顔で挑んでも結果は同じであった。
　――やっぱり、この状態だと物に触れることはできないみたい。残念だけど。
　早々に本屋を後にして通りをだらだらと歩く。
　その足が止まった。赤提灯が軒先に吊るしてある。木製の引き戸は和風建築を思わせる。やや視線を上げた先には店名が記されていた。
『居酒屋千鳥足』
　高校生の遠海とは縁遠い店もあって興味をそそられた。
　――この姿なら入れるわ。メニューが豊富で食べ放題のバイキング気分が味わえる。
　遠海はニヤニヤと笑いながら引き戸をすり抜けた。
　いきなり賑やかな声に包まれた。カウンター席やテーブル席で赤ら顔の人々が笑顔で語り合う。酔いが回って自然と声が大きくなる。
　その賑わいの中、注文を受けた店員が怒鳴るようにして厨房に伝えた。
　――活気があるし、料理も美味しそう。
　遠海は気ままに店内を見て回る。その過程で厨房を覗いて見た。
　両手で鉄鍋を振るう料理人がいた。背中合わせとなってひたすらネギを刻む。その隣では餃子の餡を作り、手早く皮に包んでいく。
　皆、一様に足が速い。小さな隙間を駆け抜けるようにして客の注文に対応した。
「凄いね」
　当たるはずはないと思いつつ、遠海はそれとなく通路の端に寄った。
　その中、麻婆豆腐が完成した。台に置かれた一品を目にした遠海は、その艶やかなとろみに指を入れた。掬い取ろうとしたが、すり抜けた。
　薄っすらと湯気が見えるチャーハンには自ら顔を寄せて噛み付いた。歯型一つ、付いていない。
「生殺しだよ！」
　完成した品々、全てに齧り付く。ピラニアの状態となった。
　――それなら奥の手よ！
　店内に戻った遠海はカウンター席にいた若い女性に注目した。垂れる髪を片手でたくし上げた姿でラーメンを食べていた。
　遠海はその女性と重なった。動きを合わせてラーメンを食べる。その執念が奇跡を生んだ。
　――微かに味がする！　これなら食べた気分になれるよ！
　心の中で歓喜して、その後も人と重なった状態で居酒屋メニューに舌鼓を打った。

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