肉体を抜け出し、夜の世界へ｜リアクション

肉体を抜け出し、夜の世界へ

　寒々とした猫鳴館の部屋で綾辻綾花は目を覚ました。
　部屋は薄暗い。建物が木々に覆われているとは言え、一目で夜とわかる。
　それだけではなかった。パジャマ姿の綾花は寝ている自分を見下ろしていた。
　――私が寝ています。では、この私は何でしょう？
　ふわりと畳に降り立ち、安らかな寝息を立てている自分を見た。小首を傾げるだけで新たな発見には至らなかった。
　真後ろから微かな機械音が聞こえる。振り向くと暗がりに紛れたクロワがこちらをじっと見ていた。ピントを合わせる音が、じじじ、じいい、と鳴って艶やかな眼球を向ける。
　綾花は微笑んで頭を撫でようとした。その手は簡単に、すり抜けてしまった。
　――もしかして幽霊のような状態なのでしょうか。クロワは何かを感じているみたいですが。
　完全には把握していないのか。クロワは部屋を歩き回ったあと、立ち尽くす綾花に目を合わせた。
　――神魂の影響でしょうか。まさかとは思いますが、珪さんも同じ状況なのでは。
　不安は急速に膨らむ。ガタガタと風で揺れる窓を突き抜け、綾花は夜の只中へ飛び出していった。

　軽い跳躍で綾花は飛んだ。街灯が季節外れのホタルのようにポツポツと眼下に見える。
　――こんなに高さがあるのに、不思議と怖くないです。浮遊感のおかげでしょうか。
　綾花はゆっくりと高度を下げた。近くにある建物の屋根を踏み台にして、再び夜空へ舞い上がる。
　寝子島高校の近くにあるアパートが見えてきた。少し慣れてきたこともあり、目指す部屋へと吸い込まれるように降りていった。
「珪さん、大丈夫ですか？」
「僕だけではなかったようだ」
　宙にふわりと浮いていた早川珪は目を細めた。厚手のスウェットは黒で統一されていた。
　いつもと違う格好に綾花はまじまじと見つめた。
「僕の姿におかしなところでもあったのかい？」
「そういうのではなくて、珪さんのラフな姿も良いなと思って」
「実は僕も綾辻さんのパジャマ姿に目がいって。おあいこだね」
「そうでした！」
　綾花は思い出し、もじもじしながら照れ笑いを浮かべた。
「あの、それで話は変わるのですが、この後の予定はありますか？」
「想定外の事態だから、何も考えていない。どうしようか」
「それなら私と一緒に深夜のデ、散歩に出かけませんか」
　デートと口にする前に大胆と気付き、急いで言い直した。
　珪は眠っている自分を眺めて、そうだね、と言って微笑んだ。
　はぐれないように二人は手を繋ぎ、揃って天井を突き抜けた。

　珪の脚力が上回り、二人は上空から寝子島を眺めた。星屑のような光がシーサイドタウンを中心にして広がる。
　綾花の目も同様に輝きを帯びる。
「夜の寝子島は綺麗ですね。知りませんでした」
「僕も知らなかったよ」
　夜景に目を奪われた二人は緩やかに高度を下げる。
　その中、綾花はある一点を指さした。
「西洋のお城のような建物があります。寄ってみましょう」
　目にした珪は苦笑に近い状態で、程々に、と遠慮がちに言った。
　少し距離が足りず、二人は揃ってビルの屋上を踏み台に使う。対面にあったアーチ状の窓を通り抜けて直に部屋へ飛び込んだ。
　綾花は一目で、凄い、と口にした。
　臙脂の床に置かれたキングサイズのベッドに目がいく。壁には薄型テレビが取り付けてあった。ガラスのテーブルには灰皿や各種案内、それとカラオケに使うマイクまで置かれていた。
「大きなベッドに枕が二つもあります。テーブルの先はガラスの壁で、お風呂が丸見え！？　もしかして、ここは……」
「出ようか」
　珪は顔を赤くした綾花の手を握ると、一気に跳んだ。

　丸い月に照らされて二人は共に夜空を舞う。
　跳躍を繰り返し、静かな九夜山の展望台に降り立った。
　とても静かで二人だけの世界を演出しているようだった。
「少し高くて、ドキドキしました」
「今は大丈夫？」
「まだ、ドキドキしています」
　手を握ったまま二人は掛け替えのない時を過ごした。

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