プラスチック成形物ゆえ首はおろか眼球すら動かないのはいかんともしがたい。限られた視界で真白は状況を確認した。
　どうやら自分は新商品として、レジカウンター正面、客が店に入って最初に目にする場所に設置されているようだ。
　とにかく千絵ちゃんに気づいてもらおう、真白はそう決めた。
　おーい千絵ちゃん、ここだよー。
　助けてー。
　出してー。
　ていうか、気づいてー！
　声出せぬ我が身がうらめしい。真白は一所懸命念じるのだが、千絵はまるで気がつかない。有線放送のスイッチを入れ、流れ出したイギリスのボーイズグループの曲にあわせてハミングしている。
　うーん。やっぱり無理か。
　どうしたものかと考えをめぐらせるうち開店の時間となった。まだ早い時間だがさっそく、どやどやと入店者があった。
　男子三人組が真白の前で足を止める。
「お、新製品！」
　わわっ。
　急な浮遊感に真白はとまどった。
　高校生らしき少年が、真白の入ったパッケージを持ち上げたのだ。
「すげー、よくできてんなー」
　嬉しそうな目で真白を眺める。友人らしきメガネの少年もだ。
「ヤッベ、超カワじゃん」
「カッケー」
　あまり語彙は豊かではないものの、彼らからすれば最上級と思われる賛辞が飛び交った。
「ていうか、エロいよな……」
「おう……」
　ごくり、と少年の喉が動くのが見えた。
　熱い。
　少年たちの視線が熱い。
　舐めるようにねっとりと、溶けそうな熱視線が真白の肌に注がれている。
　……恥ずかしい。
　プラスチックだから赤面はしないが、ギリギリのギリな自分を眺め回されるのは体が火照る思いだ。
「それ何？　『TOS』のキャラ？　新手のガーナックか？」
　三人目の少年が声をかけた。
「ちげーよ。オリジナル」
「へー」
　自分はゲームやアニメのキャラではないらしい、と真白は思うがまもなく、
「買うの？」
　三人目の少年が何気なく言ったのだった。
「いや、ほしーけどさ」最初の少年が言った。「でも値段がちょっと……」
「キビしいよな」
　なるほど私は高いんだ。
　なんとなく嬉しい真白である。どうせフィギュアとして売られるなら、二束三文のワゴンセールよりはいい。
「金欠だしあきらめっかー」
　名残惜しげに少年は真白の入ったパッケージを棚に戻した。
　やれやれ危機は脱したか。
　真白は安堵した。少年に買って帰られて、飽かず観賞されたり写真を撮られたりするのは気乗りしないところだったから。
　しかし目立つ場所にあるゆえ、それからも真白の災難はつづいた。
「ママーこのお人形なにー？」
　と未就学児らしい女の子に指さされたり（母親は「それはもっと歳上の子のもの！」と一喝していた）、
「ほほう、いい仕事してますな。造形師は……」
　と口ひげのおじさんにパッケージを天地逆にされかなりの時間そのままにされたり（おじさんは真白を観賞することよりも、パッケージの文字を読む方にずっと情熱を注いでいた）、
　お年玉のポチ袋を握りしめた中学生との対峙をしいられたりした（中学生はさんざ迷ったすえにプラモコーナーにむかった）。
　参ったなあ、元の体に戻る様子がないよ。
　ぼやきたい気分の真白である。
　フィギュアゆえ空腹や痛みは感じないが、退屈なのはどうしようもない。
　せっかく『クラン＝G』にいるのになぁ。
　体が自由に動くなら退屈とは無縁だ。真白にとってここは、一日すごせる場所だからだ。
　トレカのブースターパックをのぞきに行けない。買ってドキドキしながら開封するなどもってのことだ。当然手持ちのカードと比較してデッキを組み直したり、同好の士と交換したりもできるはずがない。
　書籍をあさりに行けない。追いかけている漫画の新刊がそろそろ出るころなのに。好きなアニメーターの画集をめくって、買うかどうか悩むという楽しくももどかしいひとときもすごぜない。
　ボドゲで遊ぶのも無理。ここからは見えないが、開放中のプレイ台からは楽しそうな声が聞こえてくる。せめて歩けるなら、TRPGのセッションをやっているところまで行って飛び入り参加だってできたはずなのだ。このサイズだからダイスを振るのも一苦労しそうだけど。
　小一時間ほど放置され、真白は心の中で大あくびした。
　誰かきてー。
　エッチな目で眺められるのは恥ずかしいけど、退屈よりはずっといいよー。
　真白の願いが届いたか、
「お？」
　パッケージを見つめる目と目があった。
「こんなん出てたんだ？」
　紅ちゃん！
　真白は叫びたい。涙を流して叫びたい。
　なぜっていま、自分を見つめているのは芋煮 紅美だったから。
　
　紅ちゃーん。
　私だよー。
　助けてー。
　しかし紅美は真白だと気がつかず、真白入りのパッケージを手にしたままレジカウンターに顔をむけた。
「千絵ー、これ新製品？」
「ですよー。今日発売です」
「ふーん、なんつーか、良くね？」
「さすが紅美さん、お目が高い」
「めっちゃ商売人口調じゃねーかそれ」
「いや商売人ですから」
　うふふと千絵が笑うと、紅美もカカカと笑った。
「なんか気に入ったんだよなー。ちっとばかしエッチだけどなー」
　へえ、と千絵が言う。「紅美さんがフィギュアに興味もつの珍しいですね」
「うん。自分でもそう思うんだけどさ、なんかさ」
　紅美はパッケージに視線を戻す。
　つまり真白を観賞する。とっぷりと、夢見るような眼差しで、「妙に気になるっつーかさ」と言いながら。
　私、こんな姿で紅ちゃんに見られてる――！
　紅ちゃん言うところの『ちっとばかしエッチ』な逆白バニー姿で。誘うような目と表情のフィギュアで。
「……」
　紅美が顔を近づけてきた。
　あああ……紅ちゃん、見ないで……。
　いや、もっと見て、私を見て……そして、買って。
　家に連れ帰って。私、もしフィギュアのままだとしたら紅ちゃんの部屋のフィギュアでいたいよ。朝な夕な紅ちゃんのこと見守りたいよ。
　だからお願い。買って！
　私を買って！　買ってくんないとやだー！
「高いなー」
　ぽそりと紅美がつぶやいた。
　そうだったー！
　ついさっきとは正反対に、我が身についた高額の値札を真白は恨んだ。
　ここで千絵が言った。「紅美さんGメイト（※『クラン＝G』会員のこと）だから、その商品十五パーセントポイントバックですよ」
「えっ、十五パーも？」
　千絵ちゃんナイスアシスト！　商売上手！
　真白は喝采を送りたかった。なぜなら千絵の一言が紅美を動かしたからだ。
「しゃーねーなー。まだお年玉残ってるしー。買っちゃうかー」
　買っちゃえ買っちゃえー！
　真白の念は通じた。ついに紅美はパッケージを胸に抱き真白をレジへと運んだのだった。
　やったー！
「はい、お買い上げありがとうございます」
「つつんでくれなくていーから。エコバッグもあるよ」
　ここで千絵は『ご一緒にポテトもいかがですか？』の口調で言った。
「ご一緒に逆バニーコスチュームはいかがですか？」
「えー？」
　どこから出したのか、ほーらと衣装の入った袋をカウンターに置く。本当だ。パッケージには『逆バニーセット』と書かれているではないか。もちろん弩級セクシーなあの服装だ。
「ほら、黒ベースだけど蝶ネクタイとハイヒールは赤なんです」まったく無邪気に、にこにこしながら千絵は言うのである。「すべすべの素材で着心地も最高、これを着ればフィギュアの子とおそろいですよ」
　何バカなこと言ってんの！？
　真白は仰天するも千絵はふざけているのではないらしい。紅美もまた、
「え～、どうしよっかな～」
　とまんざらでもない様子だ。
「お部屋で着るのなら恥ずかしくないですよ。なんなら私も付き合いましょうか？　自前の衣装もっていきます。パジャマパーティならぬ逆バニパーティです」
「千絵も着てくれるのか……悩む」
「ちなみに私は緑バニーです」
　メガネの奥の千絵の目が、なんだか妙に艶めかしい。
「いいなあ。見たいかも、千絵の逆バニ……」紅美は頬を染めながらも、力強くバニー衣装を手にしたのである。「えーいこの商売上手め！　これも買っちゃう！」
　ナニこの会話の流れ！
　大変けしからん！　けしからん、けど――。

「ホントにやるなら私も入れて！　逆バニパーティ！」

　と、叫んだ自分の声で真白は目が覚めた。