ファントムバタフライの館｜リアクション

ファントムバタフライの館

隠し扉を抜けて

　ふたりは細く長い隠し階段を下りていた。
　時折遠くゴロゴロと響くのは雷だろうか。
　きっとそうだと分かっていても、不安が募り、柚春はウォルターの腕にしがみつく。
　階段を下りきったところに扉があった。
　真鍮のドアノブがついていた。
　ウォルターが息を呑んでノブを回す。
「――これは……」
　温室だった。
　正確には温室だったもの、だろうか。
　天井の明り取りの窓を、稲光が走る。
　部屋中一杯に無分別に伸び盛った挙句に枯れ果てた植物たちの残骸が照らし出される。
　その中を蒼白い蝶たちが飛び交っている。
　柚春とウォルターは、ゆっくりと温室に足を踏み入れた。
　温室の中央に机があった。
　――ゴロゴロ、と。
　また稲光。
　照らし出されたそれを、柚春とウォルターは見た。
　まるで机でうたた寝をしているかのような恰好のそれは、白いドレスを纏った白骨の死体。
「ウォルターさん……これって、もしかして」
「……蝶子さんだろうね」
　動けない。
　蒼白く光る蝶が神々しくも飛び交う中、彼女はここで人知れず眠っていたのだ。
　ふいにあたりに冷気が漂う。
　身体を震わせたそのとき背後から声がした。……気がした。

　――……チョウコ。You were here（ここにいたんだね）……。

　振り返ると、白いひげを蓄えた、黒いフロックコートの老人が立っている。
「ウィリアム博士！」
「えっ、この人が？」
　博士は仄かに微笑んでいる。
　ウォルターは博士に、少し腹を立てていたらしい。
「いったいどこに居たんですか。探していたんですよ。僕のことを呼びつけておいて、勝手すぎでしょう」
　そのあとは英語で博士に向かってまくしたてたが、博士はどこ吹く風といった様子で白いひげをしごいている。柚春は、ちょんちょん、とウォルターの服を引っ張る。
「ウォルターさん。僕のことも博士に紹介してよ」
「あ、ああ。ええと……この子は僕の教え子で」
　柚春はげしっとウォルターのつま先を踏みつけた。
「そうじゃないでしょ。もっとロマンチックな紹介の仕方がいろいろあるよね」
「注文が多いなぁ、じゃあなんて？」
　遠縁だけどワットの親族に会えると思ってご挨拶とか色々考えてきたのに！　と、柚春はふくれっ面でウォルターを睨む。
「博士、はじめまして。ウォルターさんには大変お世話になっております……いえ、時折お世話もさせていただいております、稲積柚春と申しま……」
　日本語があまり理解できなかったのか、挨拶の途中ではあったが博士が微笑んで会釈をしたので、柚春も慌てて会釈をし返した。
　それから博士は、ウォルターと柚春をすり抜けると、白いドレスの白骨死体の方へ歩み寄っていった。
「え……？　すり抜け？」
　柚春は目を瞠る。すり抜けた。たしかに。
「博士？」
　声が掠れる。自分とウォルターをすり抜けた。ということは……。
　博士が近づくと、白骨死体から浮かび上がるようにして、蝶子のゴーストが現れる。

　――待っていたわ、ウィリアム。

　博士は蝶子を抱きしめる。
　眩い稲光。
　次の瞬間、博士と蝶子の姿は、無数の蝶に変わって、散った。

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