もしもの未来の話をしよう｜リアクション

もしもの未来の話をしよう

「おや、今日は婚約者さんとお出かけですか」
　買い物に行く途中。
　偶然出会った隣家の住人に声をかけられて、早川珪は足を止めた。
「ええ、ちょっとそこまで」
　笑顔で返事をし、会釈で別れて、歩き始める。
　その横で頬を染めるのは、20歳になった綾辻綾花である。
「婚約者……だって」
「その言葉、慣れないね。もしかして、僕のプロポーズを忘れちゃった？」
　明らかにからかう口調だ。
　ちょっと頬を膨らめて「忘れるわけないです」と返して。
　綾花は、左手薬指に視線を落とした。
　そこには珪が贈ってくれた婚約指輪がある。

　その後、スーパーで一緒に食材を買った。
　野菜の選び方や魚の鮮度について話しつつ、珪が持つかごのなかに、商品を入れていく。
（新婚さんみたいで嬉しいです）
　お肉の表示を見ている珪は、一体どう感じているのだろう。
　その真剣な横顔に、思う。

　しかし一歩寝子高の中に入ると、綾花の心は、高校時代に戻っていた。
　懐かしい先生たちに挨拶し「へえ早川先生となあ」「お幸せにね」などと気の早いことを言われつつ家庭科室へ。
　持参したレシピ通りに必要な器具を用意して、材料を並べて、料理を作り始める珪を見守る。
　珪は一人ですいすいと作業を進めていった。
　野菜を切るうちに、支える左手が不安定になったのがちょっと危なっかしかったが、そのくらいだ。
「手はこうやって、指を丸めるんですよ。猫の手です」
「猫かあ」と言いながら指を曲げる珪は、２年前憧れていた先生とは、ちょっと違って見えた。
（それだけ、距離が近づいたってことでしょうか）
　玉ねぎに負けて涙を流し始めた珪に変わり、綾花が包丁をとる。
　そのまま手伝う途中、珪に尋ねた。
「それにしても、どんな心境の変化ですか？　突然、料理を練習だなんて」
　すると珪は、なにやら少し困惑顔。しかししばらく待つと、ゆっくり話し始めた。

「この前、実感したんだよ。僕も少しくらいなにか作れないと、綾辻さんの助けになれないって」
「この前って……私が風邪で寝込んだときですか？」
　聞けば珪はこくりと頷いた。
　あのとき、満足に食事をとれない綾花に、珪はおかゆを作ってくれた。
　冷凍ご飯を温めて鍋で煮ただけのものだったが、ずいぶん心がほっこりしたのを覚えている。
「……あれで十分なのに」
「綾辻さんは優しいから、そう言ってくれるけれど」
　教師と生徒という立場から、家を行き来するような間柄になり、弱ったところも見るうちに、思うところがあったのだろう。
　出来上がったのは鶏肉と野菜が入ったスープである。
「こういうものなら、具合がいいときも悪いときも食べられるよね。味見、してくれる？」
「もちろんです」
　珪が見守る中、スプーンですくったスープを一口。
　体も心も温まる、優しい味だ。
「とっても美味しいですよ、珪さん」
「よかった」
　珪が微笑む。その笑顔に、綾花は溢れそうな涙を止めるべく、目を伏せ深呼吸をしたのだった。

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