新しき、年の始めに。｜リアクション

新しき、年の始めに。

「もう……ダメだ……」

　静寂の満ちる図書室で、へちゃりと机に突っ伏して、万条幸次は呻き声を上げた。きっと、幸次の口からは今よくあるマンガの様に魂が出ているに違いない。
　その勢いで開いていた参考書がぱたりと閉じ、あぁ、と呻く。呻くが、もう1度開く気力はもうどこにも残っていない。
　視線だけで周囲を見回せば、静かに自習に勤しむ生徒の姿がチラホラ目に入った。そのほとんどが3年生だ――何しろ大学受験を目前に控えているのだから、当たり前である。
　幸次も、一応大学受験前だし、みんな自習してるし――と図書室で自習を始めたクチ。だが、そのやる気と気力と集中力は、1時間で見事に霧散した。

（なんか、もう無理……集中できない……）

　うぅぅぅぅ、と小さく呻きながら机の上でゴロゴロしていたら、ポン、と軽く頭を叩かれた。のろのろと見れば司書教諭の早川珪先生が、書架に返却中なのだろうか、何冊かの本を手に苦笑いして立って居る。
　すみません、と呟いてノロノロと起き上がった。けれども、やっぱり参考書を開き直す気力はなくて、ぼんやりと窓の外へ視線を向ける。
　とても、良い天気だった。

（なんで俺、こんなとこで勉強してんだろ……すごい良い天気なのに……犬だって楽しそうに走ってるし……）

　いっそ恨めしげな眼差しで、窓の外を通り過ぎていく大きな白い犬を見つめる。見つめて――はた、と気付いた。

「えっ、犬！？」
「――図書室では静かに」
「あっ、すみません」

　思わず声を上げて2度見してしまった幸次に、珪先生から注意が飛ぶ。それに頭を下げながらも、困惑が止まらない。
　だって、普通に考えて窓のすぐ外に犬が見えるなんて、そうそうない。ましてここは図書室、北校舎の3階なのだ。
　それなのに、窓のすぐそばを通り過ぎて行った犬がいた。どう考えても普通ではない。

（――あ、もしかして）

　あれが、目撃情報が出ていた白澤とかいう生き物なのだろうか。だったら、3階の窓の外に居てもおかしくない――かも知れない。
　もはや、勉強をする気力は幸次の中に、微塵も残っていなかった。それよりも白澤（？）への好奇心がいや勝り、幸次は手早く参考書類を片付けると、図書室を後にする。
　と言っても、どこに行けば良いのか。

（さっきの白澤は講堂の方向に走って行ったはず……）

　まずはそちらに行ってみようと、幸次は階段を駆け下りて講堂の方へと向かった。いつも寝子撮影用のカメラをカバンに入れておいて良かったと、今日ほど思った事はない。
　すぐ取り出せるよう鞄の上から確かめつつ、駆け付けた行動の入り口で辺りを見回してみたが、やはりと言うべきか、白澤（？）は居なかった。空飛んでたしな、と頭上も見上げてみたけれど、抜けるような青空が広がっているだけだ。
　はぁ……と嘆息する。

「見間違いだったのかな……」

　念のためもう1度見回して見たものの、やっぱりあの白い姿は見つからない。はぁ……とまた大きく嘆息し、幸次はもう、今日は帰ることにした。
　ここからなら、中庭を突っ切って自転車置き場まで行くと早い。ゆえに中庭を通り抜け、自転車置き場で自転車の鍵を出して――

「あっ」

　また、白い犬を見かけた。プールの方へと走っていく後姿は、さっき見かけた白い犬に似ている気がする。

「待って！」

　ゆえに大慌てて後を追いかければ、白澤（？）はプールとグラウンドの間、普段は人が入ることもあまり無いスペースに入っていった。見失ってはなるものかと、幸次も後を追って飛び込んで――はっ、と足を止める。
　白澤が、こちらを見ていた。大きな――犬と思っていたけれども、幸次の中に在る大型犬のイメージよりもなお大きな、まるで狛犬のような風貌。
　どこか神聖な雰囲気に気圧されて、息を飲む。そうしてじっと見つめるうちに――白澤はくるっと身を翻し、フェンスを飛び越えて行ってしまった。
　ほぅ……と肩の力が抜ける。

「……カメラ、構える暇もなかったなぁ」

　ぼんやりと呟いた。随分長いこと見つめ合っていた気がするけれど、きっと時間にして1分ほどの出来事でしかなかったし――何より、どうしてだかカメラの存在すら思い出せなかった。
　なるほど、あれは確かにフツウじゃないものなのかもしれない。そう得心して、今度こそ家に帰ろうと自転車置き場に戻る。

（なんか……今年はすごく、良い年になりそう）

　なぜだか、そう思った。何にも根拠はないのだけれど、何もかもうまくいきそうな、そんな不思議な活力が自分の中に沸いてくる。
　よしっ、と気合を入れて自転車の鍵を外し、飛び乗った。家に帰ったら、もう少し勉強しよう。

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新しき、年の始めに。

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