睦み月に願うこと｜リアクション

睦み月に願うこと

　夕陽が沈みきってもなお、西の空には滲むようなオレンジ色が柔らかに残される。
　そのじわじわと藍色の空へと溶ける様子は、冬の寒さと相まって寂しい物にも感じるけれど、果たして本当にそうなのだろうか。
　本屋からの帰り道、なんとなく帰る気分になれずにいた倉前七瀬は、ただぼんやりと日没の様子に見入ってしまっていた。
　最初は本当にあてもなく、いつものように店の看板や電柱の番地、それから道路標識に至るまで、文字という文字を流し見をしていたはずなのだけれど。気付けば夕陽を追いかけるようにして、見晴らしの良い通りにまで来てしまった。

　太陽が昇り沈むのは、ただの自転と公転による現象だ。そこに感傷めいた意味合いは持たないはずなのに、こと本の世界では感情と紐付けて描写されることが多々ある。
　日中に輝き疲れて果てて帰って行くとか、夜に押しやられまいと抵抗しているとか。太陽の姿が見えなくなってもなお、そこに存在した証を残すように暫く夜空へ煌めきを残す。なのに結局はそれも、太陽と同じく水平線の彼方へと飲まれ消えてしまうのだ。
　この様子を寂しいと表現する人もいるけれど、太陽の明るさばかりが空の良さでもない。
　くるりと振り返って、東の空を見る。自信に満ちあふれたように輝く月は、この時を待っていたのだろうか。
　太陽を追いやり空に輝き羨望を集める……そんな瞬間を望んでいたのではなくて、ただ太陽を追いかけたかったのだろうか。
（月の気持ちはわからんとですが）
　もし、近づこうとしても近づけない物があるとしたなら、自分ならどうするだろう。
　そうと気付かず、月のように毎日のぼり続けるだろうか？
　いるべきもない太陽を探して、飽きもせず、同じように輝くことが出来るだろうか。
　太陽と月は、決して並ぶことがない、というわけでもない。地球上からの観測で言うならば、太陽と月が並び重なって天体ショーを行われることだってある。
　それでも、日食は数十年に１度。そうそう重なり合うことなんてない。
（例えば、この道だって）
　方角さえ見失わなければ、道なりに進んでも星ヶ丘へと辿り着くだろう。そこにはウォルター・Bの家があるけれど、はたして彼はそこにいるだろうか。
　空には太陽がいると追いかけた月が会えないように、彼だって家にいるとは限らない。
　自分が歩もうとしているこの道が、彼と重なるかはわからないのだ。

　もし仮に重なって、同じ時間を過ごせるとしたら。
　それは嬉しいのだろうけど、永遠にと願うような時間だろうか。
　乗り合わせた電車が同じだったのに、車両が違って気付かないことだってあるだろう。
　運良く車両移動をして巡り会えても、あとひと駅で降りるところかもしれない。
　そんなとき、彼を引き止めて終着駅まで一緒に居ようと言うだろうか。
　自分が降りねばならぬとき、それを放棄して彼といることを願うだろうか。

　そういう時間の紡ぎ方も、あると思う。だけど七瀬は、それが全てではないと感じていた。
　ホームから列車を見送るとき、上がらない踏切の前で通り過ぎた列車の中。もしかして、という姿を見たでもいい。彼が自分の道を生きている姿を見られるのなら、それだって幸せだと思う。
　乗り換えた先にまた彼がいて、「奇遇ですねぇ」と笑えれば良かったし、それに名前など必要ないとも思っていた。
（でも……）
　必要ないのではなくて、つけられなかっただけかもしれない。
　名前をつけることで縛られる何かを、変わってしまう物を認めたくなかったのではないか。
　ゆるゆると降りていた帳が、とうとう空の端からオレンジ色を奪っていった。
　今度太陽が顔を出すのは、同じように月が西の空へと沈む頃になる。そんな天体のすれ違いが気になって、七瀬はじぃっと月を見つめ、ようやっと今宵が満月だと気付いた。
　どうりで自信満々に見えるはずだ。一等星が多い季節なのに、明るすぎる月明かりにかき消された小さな星々も多く、星座を結ぶこともままならない。
（今から追いかけたら、月と太陽は並べるでしょうか）
　誰かと重ねてしまったせいか、その自信満々さも見つけて貰うために虚勢を張っているのではと感じて。七瀬はついっと月をなぞるようにして、東の空から西の空へと指を滑らせてみた。
　けれどもちろん、月は動いてはくれない。
（届かない……）
　自分では月に触れられない。月は、太陽に追いつかない。その距離が、なんだか。
　当たり前のはずのことが、どうにも不安をかき立てて、七瀬の心をぎゅうっと強く握りしめた。

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