冬。星ヶ丘。｜リアクション

冬。星ヶ丘。

　半ば当然のように、真境名アリサの大晦日にはがっちりと出勤が当てはめられている。年末だからと家にこもり家族と過ごす者ばかりではなく、接客業においてむしろ歳末などはかき入れ時で、ことにアリサのような業種ならばなおさらだ。
　何とも世知辛い。職場では副店長という立場を務める重責もあるし、仕方がないところはあろうが、やるせない。年末年始くらいはやはりゆっくりと過ごして英気を養い、年が開ければスッキリとリフレッシュした新しい自分として再び戦場へと向かう。そんなふうにありたいものだ。
「ふん、ふん、ふん。ふふん♪」
　……ありたいものだが、そんな年末の繁忙期を前にアリサは鼻歌まじり。なんならスキップでも踏もうか、てな具合に上機嫌であった。
　なぜか？　今日が大晦日の代休だからというわけではない。端的に言って、馬券である。
「まさか怪盗Answerの言うことが本当に当たるとはねえ」
　三連単。一着サンダーキャット、二着クィーンネコマタ、三着ペルシャンブルー……さるクリスマスイブ、京都競馬場にて出走したレースに大きく張ったアリサは見事、それを引き当てたのだった。いわゆる一つの万馬券というやつだ。配当金は数百万に上った。胡乱な都市伝説の類などおよそ信用していなかったはずが、今ではすっかりAnswer様様である。まあその後、何度試みても電話は繋がらなかったが。
　ともかく、数百万のあぶく銭。これは使い出があろう。何に使おうか。ショッピングに出かけて衝動買いの嵐を吹かせてみようか。いつもは接客する立場だが逆に、きらびやかな夜の街へ繰り出して豪遊してみようか。
　しかしアリサはこれでリアリストであり、金と男にはめっぽうシビアなたちである。競馬は趣味だが身を持ち崩すほどに買い込んだことはないし、勝敗にもさほどこだわりがない。今度の当たりもほとんどは貯蓄として寝かせ、一部は明確に有望な銘柄を選んで投資へ回した。手元に残したのは二割程度といったところか。賭け事でたまたま引き当てたまさしくあぶく銭、されどこれもまたアリサ自身が日々身を粉にして稼ぎ出した元手あってのことだ。悪銭身に付かずとも言う。どんな金であれ、どこまでも堅実な運用を図るべきというのがアリサの確固たる信念なのだった。
　とはいえ。とはいえだ。この一年必死に働いてきたし、年末ともなれば身も心も疲弊している。その上で大晦日は最後の一働きをこなさねばならず、それもおそらくハードな一夜となることだろう。ならば少しばかり、ほんの少しだけ、自分のために財布を緩めてみてもいいのではないだろうか？
　そんな風に考え、アリサが跳ねる足取りで向かった先は星ヶ丘地区。さりとて目に付いたショップへ飛び込みブランドものを買い漁るでもなく、ステッラ・デッラ・コリーナで最高級のディナーをいただくでもなく。立っているのはありがたいお馬様のおわすところ、星ヶ丘ホースクラブなのだった。

　乗馬。気になっていた。競馬で一山当てたからというのもあるが、純粋に駆け抜ける姿、その美しさに心惹かれた。
　柵にもたれ、気負わずのんびりと時を過ごす。馬たちと流れゆく雲を眺めているだけで心落ち着き、ただ時は過ぎてゆくが決して無為とは思わない。これこそが今アリサに必要な過ごし方なのだろう。
「雪上歩行体験、いかがですか？」
　ぶらりと見学して回っていると、声をかけられた。
「雪上歩行。あたし乗ったことないけど」
「未経験でも大丈夫ですよ。丁寧に教えますから」
　このままなんとなく馬を眺めて過ごすのも良いかと思っていたが、にかっと笑う日に焼けて浅黒い肌の男性スタッフの誠実そうな顔に負けて、やってみることにした。元より興味はあったし、ものは試しだ。
　パートナーは自由に選んでいいというので、日の光を透かすと金色の髪をなびかせているようにも見える、淡い栗毛の牝馬を選んだ。
「よろしくね、美人さん？」

　折しもはらはらと粉雪降る中、アリサは地を蹴り宙を舞い、その背に降り立った。
「おー、いい眺め」
　初めてでさしたる労もなく乗ってみせたのはさすが、長年競馬好きとして馬を見てきたのもあろうし、ポールダンスで鍛えた身体能力や体幹の強さもあろう。スタッフの指導も直感的に分かりやすく、すぐに常歩で歩くことができた。
「いい子だね。そのままゆっくり、ゆっくりね」
　皮膚の滑らかさと筋肉の迸りを通じ、繋がりを感じる。アリサの意思を汲み、一歩また一歩と着実に。白雪舞い、足跡を残すのは遠い北の地の開拓者の歓びを想起させた。
　小気味良く上下し、揺られるうち溶けてゆく。万馬券の歓喜にも吹き飛ばされなかった、心の内の深いところに染み込んだ黒くわだかまる熱が、冷たく優しい淡雪に包み込まれて消えてゆく。
「あー……いいなぁ。いい気持ち」
　長い首がくるりとこちらを向いた。首筋をなぞってやると満足そうにやわらかく、低くいななく。
　今年もまだ乗り越えるべき壁がある。簡単ではなく、気合を入れて臨まねば弾き返されるような堅牢な壁だ。しかし今のアリサならばどんな障害でも、城でも砦でもどんとこい、突き破って新しい年へと突っ切ってゆける気がした。
「これからもたまにこうして、あんたに乗りに来るのもいいかもね」
　こうして歩むばかりでなく、いつか共に疾駆できたなら。風に乗り一面の緑の野を軽やかに駆ける様を思い浮かべて、アリサは目を細めた。

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あとがき

担当マスター：網透介
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網です。今回は星ヶ丘でした。

カフェに植物園、ホースクラブとご提案しましたが、どれも皆さん楽しんでいただけたらと思います。
しかし寝子島はどこを切り取っても魅力的な舞台となるので、シナリオガイドを考える時などは助かります。
まだまだ取り上げていない場所があると思うので、良かったらここはどう？とか教えてもらえれば嬉しいです。

それでは、また次回に。
網でした。

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