陣からのNYAIN通信を受け、真白は急いでこの店に来たのだった。陣の隣に腰を下ろす。

　紅、いや、その体をのっとった『紅子』についてどう発見したのか陣に聞くと、ドリンクバーのホットコーヒーを片手に真白は深々と息をついた。
「そういうことかぁ……。なるほど、いまの紅ちゃんはうたた寝しているような状態なんだ。で、いまここで眠そうにしてるのが『紅子』ちゃんってわけ？」
「ベニーって呼んでくれていいよ」

　最初いやがっていたわりに、すんなりと紅子は呼び名を受け入れることにしたらしい。ここまでの経緯も聞いた上で真白は言った。
「まぁ説教じみたことはしたくないけど、七枷君の言う通りだよね。やってることは昔と同じっていうのはさ」
　真白は紅子に向き合う。
「罪悪感を減らしたくて世直し、じつに結構だよ。前向きなところは全然応援する。でも今のやり方は、罪悪感を持つことになったときと同じだから、きっとまた罪悪感を持っちゃうよ。紅子……ベニーちゃんはもちろん、紅ちゃんもね。まちがってるのはやり方だけだと私は思う」
　ねえ、この前の夜中、と真白は言った。
「ベニーちゃん言ったよね、正義の味方になりたいって。でもね、悪の敵と正義の味方ってイコールだと思う？」
　真白はテーブルに一枚の硬貨を立てる。右手の指で側面をはじいた。
　コインは駒のように回転をはじめる。数字の書かれた面、模様の面、回転しながら出たり消えたりする。
「コインの両面じゃないんだよ。悪を裏返したら正義になるの？」
　紅子、陣、真白、三人の視線がコインに集まった。
　やがてコインは、数字の面を表にして止まった。
「私はね、そうは思ってないんだ。そんな単純じゃないって。悪同士が対立することだってあるでしょ。正義を主張する人たちが方法論でもめるのも茶飯事でしょ。今の紅ちゃんは悪の敵ではあるかもしれないけれど、正義の味方ではないと思う。だから一緒に考えよ、正義の味方ってやつをさ」
「ふたりともいいこというよね、さすが高校生。でもね」
　紅子は右手でコインを手にした。人差し指と中指でつまみあげる。親指を添え力を込めると、コインは飴細工のようにひしゃげた。
「真白。陣も聞いて」
　湾曲したコインをテーブルに置き、ニヤッと紅子は笑った。
「あたしは、芋煮紅美から生まれたんだよ。『紅』ってあんたらがよんでるほうの紅美、つまり紅美本体が、この力をのぞんだっておもわない？　あばれたいのも、わるいやつをアイスピックでクシザシにしたいのも紅だったら？　力のあるあたしが、紅のためにあの子のヨクボーを代行してるだけだとしたらどうする？　あたしはキタナイこと担当。こんなドス黒い女の子に、ドーリ（道理）をといてどうにかなるとかおもってる？」
「思ってる」
　という声が重なった。真白も陣も、なんら躊躇しなかった。そんな回答がくるとは思わなかったのだろう。紅子は口を半開きにしている。
「僕は否定したくないんや」陣が言った。「紅から生まれた紅子を否定したくない。紅はひねくれた態度をとることもあるけど、ほんまは素直で人の話を聞こえる子や。だったら紅子だっておなじはず。紅子も紅なんだとしたら、ちゃんとお互い認知した上で折り合いをつけてほしい」
「前の冬、私、紅ちゃんとも、いま話してるベニーちゃんとも話したよね。私、どっちのこともよく知ってるよ。どっちも、大切に思ってるよ。だから、ベニーちゃんも紅ちゃんのこと、大切に思ってるとわかるんだ。七枷君もこう言ってるしさ、一度、ノートに書き置きするかなにかの手段で、紅ちゃんと話し合ってみない？　私も七枷君も協力するから」
「あたし……」
　シート席に背中を押しつけるようにして紅子は身を引いた。
「これいじょう、めいわくかけたくない！」
　たぶんこれ、本心だ。
　真白は直感している。
　紅も、紅子も含めた芋煮紅美の本心だ。
　これまでの経緯で社会に負った借りを清算しようと外に、誰もが認めるわかりやすい悪に向けようとしているだけの単純な暴力性、でもそれは、インターネットの世界で叩きやすい対象に集中砲火をあびせ、いやがらせ電話をかけたり、対象者の住所や所属の学校・会社組織を特定しさらし者にしようとする種類の攻撃と本質的におなじだ。どれだけ暴力を振るっても、けっして気持ちが晴れることはないだろう。次のターゲットを探し求めて、むしろますます苦しむだけだろう。
　だから止めたい。そもそも、迷惑イコール悪という考えかたから脱してほしい。
「いいんだよ」
　手を伸ばし、真白はテーブルの上の紅子の手をつかんだ。
「わかってる。でも、迷惑、かけて。人間は何かを破壊せずに生きられない動物、大なり小なり、みんな誰かに迷惑かけてる。だからって、激しい力に頼る必要はないよ」
「せやで。迷惑かけたりかけられたりはお互い様かもしれん。でも暴力の連鎖は全然お互い様とちゃうからな。そのへん、いっぺん紅のほうに訊いてみ？」
「訊くって何を？」
「え？　ほらここまでの話の流れでわかろうもんだろ」と言いかけたところで陣は気がついたのである。
「てゆーか、ここどこ？」
　きょろきょろしているのは紅美だ。紅子じゃなくて紅のほうの！
「紅ちゃん、目が覚めたんだ！？」
　真白は、もうひとつの手も紅美の片手に重ねた。
「あー、なんか」紅美は頭をかいた。「学校帰り、眠いなーって思ってふらふら歩いてな……そしたら、何？　もしかしてあたし、おふたりさんと遊ぶ約束とかしてたっけか」
　どうしよう、と顔を見合わせた陣と真白だが、すぐに真白が機転をきかせた。
「そうだよ。ランチの約束。ほら！　ここはファミレス、ニョイフルでござい」
「そういうこと」
「ああ、ニョイフルかぁ。でもどうせならロイキャがよかった」
　こいつ、やっぱ紅子と根っこは同一人物だな――うぬぬと陣は歯がみするがそこは抑えて宣言した。
「とりま美味いもん食ってみな落ち着こう。ほれ、今日は特別に僕が奢（おご）るよ」
「マジで！？」ラッキー、とにわかに上機嫌になると、「おっ、チーズハンバーグ来てんじゃん！　じゃああと、ドリンクバーと食後のパフェ追加な」さっそくパクつきはじめる紅美なのである。
「お、七枷くんおごってくれるの？　よーしそれじゃ一番高いメニューはどれかなぁ～？」
　ここぞと真白も話にのって、楽しげにメニューを繰りはじめる。
「一番高いの？　そりゃサーロインステーキじゃね？　四百グラムの」
「おー、ごっついねえ。デザートは？」
「そりゃやっぱゴールデンデリシャスサンデーじゃないっすかねー？」
　ニョイフルかぁ、などと冷めた反応をしていたわりに、しっかり紅美も楽しんでいる様子だ。
「……おい、二人ともここぞとばかりに高いもんばっか頼んでんじゃねぇよしばくぞ」
　まー言った以上奢るけどさー、と陣は苦い顔をしているが、それでも気持ちは、数分前よりずっとずっと楽だった。


　――『AFTER THE RAIN』　了