怒っているわけではない。生来の目つきだ。
射すくめるような三白眼、気の弱い人間なら彼が正面から歩いてきただけで道を空けるだろう。
くりかえすが怒っているのではない。むしろ正反対だ。
京極 花音は弱り切っていた。
急な雨。快晴とまではいかずとも、朝方はお天道様がニコニコしていたものだ。それが夕方になり手のひら返しの大泣きだ。あの笑顔はいつわりだったというのか。あと天気予報も。
しかも雨は収まる気配がなかった。じっくり腰をすえて長陣のかまえ。バイト帰りの花音は、郵便局の軒先で立ち往生している。
土砂降りではない。アパートまでの距離もそう遠くはなかった。ならリュックで頭をかばって走れば――というのは花音ではない人の発想だろう。
雨は花音の天敵なのである。雨は花音を狼にする。もののたとえではなく本当に。
雨の日に街中で、服を着て走る大型狼を見ることがあればきっとそれは花音の変身後の姿だ。幸いこのときは、最初の矢が天から放たれるより先に花音は難を逃れていた。
たとえ真夏のピーカンであっても、鞄に折りたたみ傘を忍ばせるのが花音の自衛策だった。しかし今日に限って、穴のあいた折りたたみを一本捨てたばかりなのである。不幸にしてそれは、いま背にあるリュックに常駐の傘だった。
花音は空をにらんだ。
今日の雨は間隔が大きい。雨粒も大きくはないようだ。
集中すりゃ、雨を紙一重で回避しながら帰れるかもな。忍者みたいに。
やってみる価値、あるかもしれねぇ。
無謀な挑戦かもしれない。数分後には、忍者になりそびれた涙目の狼が都会に放たれるだけかもしれない。
だが。
――せっかくだから、俺はこの無謀を選ぶぜ。
しかし間一髪、花音の挑戦は食い止められた。
「お花屋さん?」
眠る猫がつらなった模様が目に飛び込んでくる。傘のプリントだ。
傘を手にしているのは大学生くらいの女性だった。羊みたいなボアコート、かかとの高いブーツ、チョコレート色のロングスカート。
こんなところでまたもや偶然! 花音の心臓は跳ね上がる。
バイト先の花屋の常連客、花音がひそかに心を寄せる女の子だ。問題はまだ、彼女の名前すら知らないことだった。
「雨宿りですか?」
急な雨でしたもんねと彼女は言った。
「そ、そっス。雨、苦手なもんで弁慶っス」
「ベンケイ?」
「たた、立ち往生って言おうとしたんス」
全身に矢を受ける武蔵坊弁慶をなぜか思い浮かべつつ、花音の声は裏返った。
「私、傘ありますしお送りしましょうか? 途中まででも」
家あっちなんです、と彼女は指で示した。
天下無双の方向音痴たる花音でもさすがにわかる。
彼女が指さしている方角は、花音のアパートとは正反対だった。
* * *
うめき声は漏らさない。拷問に耐える訓練を受けてきたから。
だが恐怖は、
ナターシャ・カンディンスキーの喉元までせりあがってきていた。
窓に手を向ける。手の甲を空かして冬空が見える。
昨日よりさらに薄くなっている。
指をなぞるようにして雨粒が落ちていくのが見えた。
ナターシャはDUAL(デュアル)と呼ばれる二重人格者であったが、寝子島に来て約二年、この晩秋に突然『もうひとり』と別れた。分裂現象というのか。あとひとりは
クリス・高松と名乗り、同じ顔、正反対の性格をもつ双子の妹として寝子島に暮らしている。
当初は問題なかった。むしろ、ひとつの体を第二人格とわかちあう苦しさから解放されたことを喜んでもいた。
一時は生きることをあきらめ、あの女に体を譲るつもりであったが――。
寝子島で得た多くの出逢いが、ナターシャに生きたいという気持ちを呼び覚ました。
それゆえ我々はふたつに別れたと思っていた。しかしそう都合のいいものではないらしい。
どちらかしか残れんとみえる。
私か。あの女か。
ナターシャとクリス、ふたりを容れる度量はこの世界にはないのだろう。
会いにいかねばなるまい。
ことによっては、場所を空けてもらうことになる。
* * *
開店前の『プロムナード』、今日は同伴出勤はなしだ。
黒服を含む全メンバーを集め、店長にして社長
アーナンド・ハイイドは苦しい発表を行った。
「聞いてください。昨夜から、
九鬼姫ちゃんが意識不明の状態になりました」
恋々はずっと下を向いて顔を覆っている。
沙央莉(
三木 桜咲香)は青ざめ、気丈な
まみ子(
姫木 じゅん)すら親指の爪を噛んでいた。
「なんでなんスか!」
あんな(後藤 杏那)はすでに涙でくしゃくしゃだ。
「
鍋パーティのあと九鬼さん、あんなに良くなってたのに。一時は腫瘍も小さくなったって聞いてたッスよ。なのに、なのになんでなんスか!?」
答えるものはない。
夕顔があんなの肩に手を置いた。
アーナンドはスマートフォンを取り出した。
「二日前、九鬼姫ちゃんからワタシに届いたメール、読みますね。『わらわがどうなっても店は閉めるな。お客には陰気な話なんぞぜず明るく楽しく接すること。プロムナードは俗世を離れた別天地なのじゃからな!』……です。だから店では、彼女の願いを叶えましょう。みんな店先ではいつも通りにしてください。でも今日でも明日でも、手遅れになる前に病院に顔を見に行ってあげてほしいんです。病室には『
八幡 かなえ』って書いてます。仕事中でもいったん抜けてかまいません。最後のあいさつなのですから」
あの、と手を上げた者があった。指名を待たず話しはじめる。
「お、お言葉ですが、『最後』なんですか?」
NACCHIだった。本名は
成小 瑛美、このなかでは新顔になる。注目が集まったと悟り緊張したのか、途切れ途切れになりながらNACCHIは言ったのである。
「私、この店で、あきらめちゃいけない、ってこと学びました。あきらめず努力すれば奇跡が起きるとまでは言えませんけど、その、えっと……なんとかなることだって、あると思うんです。だから、『最後』なんて言わないでください。どうか、お願いします」
外は雨が降っている。
激しい雨ではないものの、やむ気配はまだなかった。
マスターの桂木京介です。毎回ガイドが長くて本当に申し訳ありません。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
京極 花音さん、ガイドへのご登場ありがとうございました!
ご参加の際は、このガイドにこだわらず自由にアクションをおかけください。お待ち申し上げております。
概要
年の瀬、冬の一日を描くシナリオです。
時期的にはクリスマスや終業式より前のつもりです。
雨上がりというタイトルですが、雨の降る直前、雨のただ中でもかまいません。一晩振りしきる冷たい雨が上がると、空には虹がかかることでしょう(翌朝になると思います)。
例によって、シナリオガイドのお話にかかわる必要はまったくありませんのでお気軽にアクションをおかけください。
アクションはタイトルに縛られる必要はないですが、少し意識してみると内容の参考になるかもしれません。
たとえば、
・傘をなくして大泣き。でもお菓子もらって機嫌を直す。
・レインボーカラーのケーキを焼いてみました。
・水たまりを踏んで駆け抜けたい!
・雨のデートもオツなもの。雨上がりもまた良し。
という話もありでしょう。
NPCについて
制限はありません。ただし相手あってのことなので、必ずご希望通りの展開になるとはかぎりません。ご了承下さい。
特定のマスターさんが担当しているNPCであっても、アクションに記していただければ登場できるよう最大限の努力をします。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、交際相手、チャネリング相手など)を書いておいていただけると助かります。
参考シナリオがある場合はタイトルとページ数もお願いします(できれば2シナリオ以内でお願いします)。
私はあほなので、自分が書いたシナリオでもタイトルとページ数を指定いただけないと内容を思い出せない可能性があるのでご注意ください(!)。
以下のNPCと絡めたいかたにだけは注意が必要です。
八幡 かなえ(九鬼姫)
現在、寝子島中央病院にて意識不明の状態で眠りつづけています。もちろん死ぬと決めているわけではありません(というか現時点では何も決めていません)。
それでは次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした!