AFTER THE RAIN｜リアクション

AFTER THE RAIN

　ドアを開けて「やあ」と告げると、「どうも」と返事があった。
　素っ気ないやりとりのようで、不必要な社交辞令や遠慮のない気楽な間柄を示すものでもある。
「入って」
　八神修はドアを引き七夜あおいを迎え入れた。
「外、まだ雨かい？」
「かなりね。むしろだんだん雨脚が早まってる」
「トロットからキャンターへって感じかな？」
「トロッコ？　『ニャンダム』の新しい敵ロボットの名前？」
　声を上げて修は笑った。あおいが冗談を言ったのだと解釈している。
「馬術用語だよ。馬の早足が『トロット』、駈足（かけあし）が『キャンター』」
「おお、さすがお坊ちゃん」
「そんなことはないさ。小さいころ父にね、『将来何かの役に立つ』って乗馬に通わされた」
「役立った？」
「さあ。まあ、馬の気持ちは多少なりともわかるようになったかもしれない」
　言いながら修は思う。
　馬だけじゃない。猫、犬、リス、だいたいの動物の気持ちは直感的に理解できる。
　けれどあおい、きみの気持ちだけは永遠の謎だ。
　きみはいつだって俺を翻弄する。近づいてきたかと思えば、見えない壁で俺をはじく。笑顔で誘いに応じておいて、ふと寂しげな表情をみせたりもする。思いは通じているのか、いないのか。はっきりシンクロしていると感じさせる日もあれば、近くにいるのに遠い存在であるように思える日もある。俺はきみに踊らされっぱなしだ。
　悪い子だ。
　あおい自身は、自覚していないようだからなおさら悪い。
　もっとも、謎めいているからこそ知りたくなるのかもしれないが。
「どうしたの修くん？　私のことじっと見て。なんかついてる？」
「いや、何も」
　視線にも敏感なんだよな、あおいは。
　修は苦笑するのだった。
　黒い傘をたたむとあおいは玄関を見渡した。
「傘、どこに立てかけたらいいかな？」
「広げて玄関で乾かしたらいいよ。さあ上がって」
　修とあおいの冬期料理教室、今日はその第二回にあたる。クリスマス料理に挑戦したいというあおいの希望をうけ、修はマンツーマンのトクベツ教室を開講したのだった。指導役は修、生徒はあおい、形式上はそうなるのだけど、一方的に指導し指導されという関係ではなく、エプロン姿で並んで立って、和気あいあいと料理を楽しむという趣旨だ。
　第一回はローストビーフを作った。正直、ほとんどの過程は修がこなしたという格好に終わったが、要点を細かく書き入れたレシピをあおいに渡したし、何より体験を与えることができたので十分だと修は考えている。
　あおいが靴を脱ぐと、ぱらっと数匹の猫たちがやってきて彼女を迎えた。
「こんにちは」
　あおいは猫一匹一匹にちゃんとあいさつして、頭をなでたり前足をもんだりしている。彼女の来訪が嬉しいのか、猫たちはずっとあおいを囲んでいた。
　台所への道すがら修は言った。
「クリスマス料理はローストビーフだけではない。今日は何を作ろうか？」
「何作るか決めてないんだ？」
　問い返すあおいの足元に、まだ二匹の猫がまとわりついている。
「ああ。今日は決めるところからはじめようと思ってね」
　意外だったかい？　と修はたずねた。
「ちょっぴりね」あおいが言う。「修くんって、いつも用意周到みたいなイメージあるから」
「ときには行き当たりばったりもいいものさ。レシピ本なら我が家にたくさんあるし、ネットで調べることだってできる」
「じゃあフィンランドのクリスマス料理をリクエストしてもいいわけね」
「フィンランド？　いきなり予想外のところがきたね。ピックヨウルっていうんだっけ？　いや、ペッカポーヨラだったか」
「ごめん思いつきで言っただけだから。でもよく知ってるよね。さすが修くん、物知り」
「雑学知識が多いだけさ。説明できるほど詳しくはない」
　とはいえ悪い気はしなかった。
　あおいが頼ってくれるの、嬉しいんだ。
「さて」広い台所で修は振り返った。「あおい、今日は何が作りたい？」
　冗談めかしてつけ加える。
「あるいは、食べたいものでもいい」