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　榛という文字は『はしばみ』『はり』とも読み、カバノキ科の落葉樹を指す。ハシバミは生命力の強い植物で、日照さえ充分であればとくに手入れせずとも自生する。ここから転じて『榛』の文字は、草木がむらがり生えている状態をも意味するという。雑木林、もうすこしくだけた表現をつかうならやぶであり叢（くさむら）だ。どこにでもある木ではあるものの、たくましい命をもつ木でもあるのだ。余談だが、ギリシャ神話にあるヘルメスの杖はハシバミ製だと言われている。
　耶の文字は『邪』の異体字でもあり、『よこしま』『エゴイズム』の象徴と読み解くこともできようが、一方で『神秘』の象徴でもあり『慈悲深さ』のイメージももつ。このことは、日本古来の神話に登場する木花咲耶姫（コノハナサクヤヒメ）の名に『耶』の文字が使われていることからもあきらかであろう。キリスト教を耶蘇教と書き、釈迦の生母を摩耶夫人と尊称するあたりも同源といえそうだ。
　雑草のようにダイハードでありつつも内実は柔、神秘的であり慈悲深くもある、それがこの道場が『榛耶（はりや）』を看板に掲ぐ由来である。
　――といった話を香蓮は語らない。なんかすごそうと思ってもらえればまだいいが、衒学的ととらえられるのはマイナスでしかないからだ。
「戦闘機みたいな名前で格好いいでしょう？」
　一言で道場名の説明を終え、香蓮は寛美を内部に案内する。
　木造平屋、元々は小さな温泉旅館であったという。何度か改修しておりWi-Fもi完備、さりげなく段差のないバリヤフリー構造でありトイレなんて最新鋭だったりするものの、蝋をひいたような板の間の通路、抹香の匂いがしみついているような柱など、いなたいところがあるのはいなめない。
　うわ、と寛美は声を出したが、それは否定的な意味ではなく肯定むしろ賞賛の「うわ」だった。
「トレーニング設備、すげーっすね！」
　途中、大きな部屋をのぞいての感想だ。
　トレーニングルームだ。ベンチプレスも可能な腹筋台、重量が十六段階も切り替えられるチェストブレスマシン、傾斜角度が自由につけられるトレッドミルにフィットネスバイク、レッグエクステンションマシンもショルダープレスマシンもそろっているのだ。足下にはダンベル、壁にはパワーベルトもかかっており、ちょっとしたスポーツジムに匹敵する充実ぶりである。
「もとは私の趣味のものですので。物置がわりにしています」
　照れくさげに香蓮は言う。しかしいずれも新品同様とはいわないが、ちゃんとメンテナンスされている様子で状態はよさそうだ。このときも頭をモヒカン刈りにした女性が、歯を食いしばりショルダープレスに没入していた。リズミカルに機械がきしんでいる。
「こちらは、無制限コースの鍛錬場ですね」
　つづいて香蓮が寛美を連れて行ったのは畳敷きの間、小ぶりの体育館ほどの一室だ。
　そろそろ真冬というのに、眼鏡をかけていたら曇りそうなほどの濃い熱気があふれていた。
　さもあろうそこは、固い肉と固い肉にあふれ殺伐のオイルを撒いたような蒸籠（せいろ）だったからだ。
　いるいる。腕自慢たちがいる。ほとんどが女性、空手の者あり長刀（なぎなた）あり、ヌンチャクをふるう猛者もあった。服装はまちまちでTシャツにジャージの姿もあれば、柔道や空手らしき稽古着の者もあった。百花繚乱ただし武道に限っての諸子百家、梁山泊と呼びたくもなる。
「無制限コースは男女も体格の別もなく、得意な得物も違えば流派もまるでちがう、唯一の共通点は血の気の多さといった致死量の阿呆ども……こほん。荒くれ者たちの集まりです」
「へえ」
　これはまた、という寛美の目が輝いていた。　
「そんな門下生たちが、『決着は両肩を地に着かせてテンカウントか投了（ギブアップ）』のほかはほとんどルール無用の乱取り戦で鎬（しのぎ）を削る場でもあります」
　香蓮の義理の娘芹香のように、異様なまでの負けず嫌いにはもってこいのルールだろう。芹香は何度のされても十数える間には立ちあがり、相手が疲れ果ておのずから倒れるなり降参するまであきらめない。ど根性といえばまだ格好もつこうが、その実ゾンビみたいなしぶとさのファイターなのである。ゆえに芹香がらみの試合がはじまれば長引く。
　香蓮はそういう闘魂の持ち主は好みだ。身びいきと思われたくないのであまり口にしないが、芹香を大いに評価しているポイントでもあった。
　といっても口惜しい部分はある。
　芹香さんは持ち前の丈夫さと根性だけで毎度上位の成績にはなるものの、もったいないことに志桜里さんが誘わないと道場に顔を出しませんね。ガレージにこもって単車をいじっているほうが好みのようで。
　気恥ずかしさ半分、単車好き半分というところでしょうか。

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