どんなことがあっても｜リアクション

どんなことがあっても

　かなえは口を閉ざしたままだった。
　だがかなえの沈黙を肯定と解釈し、星太郎は彼女の手を取ったのである。
「ねえかなちゃん、結婚式の誓いの言葉って知ってる？　神父さんが『誓いますか』ってやるやつ」
「まみ子に借りた漫画で読んだことがある」
　否定ではない。かなえはノーと言ったのではないのだ。ブランコで立ちこぎをするように星太郎は勢いをつけて告げた。
「そうそれ！　わかるわよね？」
「わらわはキリシタンではないぞ？」
　ロマンティック全開とはいかぬものである。かなえは新聞連載の四コマ漫画のような淡泊な顔つきで首をかしげた。だがジェットコースターでいうところの頂上付近までのぼり詰めた星太郎の勢いがそれで落ちるはずもなかった。
「いいのよ現代日本はそのへん雑なんだから！　気持ちの問題っ、気持ちの！」
「どんな気持ちだというのか」
　待ってました！　息を吸い込むと一気に星太郎は唱えたのである。神聖なる言葉を。
「新郎木野星太郎は、ここにいる八幡かなえを
　病める時も健やかなるときも
　富める時も貧しきときも
　妻として愛し敬い慈しむことを誓いますか？
　――って、もちろん誓うわ！」
「待て。問いかけるのはバテレンの神父とやらで、返答するのがそちの役割ではないのか」
「いまここにいるのアタシたちふたりっきりなんだからしょうがないでしょ！　一人二役よ！」
「二人羽織か」
「それなんかちがう気がするけど、ともかく気にしないで聞いて」
　空咳して星太郎は繰り返すのである。
「新婦八幡かなえはここにいる木野星太郎を
　病めるときも健やかなるときも……」
「もう病んどる」
「茶々入れないの！」
　一瞬星太郎は地に戻るが、ふたたび神父役に復帰するのだ。
「富めるときも貧しきときも
　夫として愛し敬い慈しむことを誓いますか？」
　よし準備完了だ。
「……どう、かなちゃん？　いいえ、かなえ、あなたの気持ちは？」
　かなえは眉を寄せた。
　困り顔にならないよう口元には笑みを浮かべている様子だが、それでも当惑しているように見えた。
「保留、というのは駄目かのう」
「どうしてっ！？」
「誤解するな星太郎のことは好きじゃぞ」
「だったら！」
「じゃがその『好き』は恋情とはことなる気がするのじゃ。わらわにはきょうだいはおらんが、まるで年の離れた兄に抱くような」
　かなえは目を閉じたのである。
「すまんな。まことに、すまぬ。されどいつわりなき気持ちじゃ。星太郎のことは愛おしい。といっても肉親に抱く思慕に近い。すくなくともいまはな。わらわは、そちに甘えすぎたのかもしれん」
　指輪を抜くと九鬼姫は、これを星太郎の手に握らせたのである。
「わかって。他に想い人がいるわけでも、ないから。ごめんなさい。ごめんね……」
　かなえの口調が変わっている。しかしそれを指摘する気は星太郎にはない。少し前とはまた異なる種類の涙が、彼女の頬をつたい落ちていたから。
「アタシこそ」
　とだけ言って、星太郎はただ手の中の指輪を握りしめた。プラチナに匂いがあるのかはわからない。ただ、口中に銀色の匂いがした。
　こわばった星太郎の頬にやわらかなものがふれた。
　九鬼姫の――あるいはかなえの唇だった。
「いまはこれが精一杯じゃ」
　誓いの接吻ではない。
　けれどたしかにキスではあった。

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