なぜならそこに浪漫があるから｜リアクション

なぜならそこに浪漫があるから

　急ぎ最低限の身支度を済ませて駆け出せば、出社も間に合いそうな８時過ぎ。時間を確認した三折部朝衣は飛び起き――隣で穏やかに寝ている住沢遥人の姿に、休日だと安堵した。
（ってことは、今日のごはん当番はあたしね）
　休みの日くらい、アラームに急かされず微睡んでいたいものだけど、染みついた習慣のせいだろうか。追い立てられなくとも、自然と目が覚めてしまうことが多い。
　だから、彼より早く起きて朝食を振る舞うなんてことは苦でも……ない、はずだけど。
　仕事のある朝は特に、つい遥人にごはん当番を頼ってしまうくらい彼は手際がいいし、味も彩りも１日頑張ろうと思えるような出来映え。
　それを真似ようと思ったって、朝衣は冷蔵庫や戸棚を眺め、メニューを考えるのでいっぱいいっぱいだ。
（前は何を作ったっけ……？）
　あまり代わり映えしないメニュー、悪くは無いけどテンションも上がらない盛り付け。
　比べるのもおこがましいことはわかっている、だって彼は。
「おはよう、悩んでるならリクエストしてもいい？」
　軽く手ぐしで髪を整えながらキッチンへ顔を出す遥人は――現役の、シェフなのだから。

　隣でコツを教えてもらいながら、今朝はスクランブルエッグを作った。その間、マシンでカフェオレ用に少し濃いめにコーヒーを落とし、トースターはスチーマーを使って庫内の湿度を調整しながらふんわりさっくりと焼き上げる。プロには及ばないながらも、ちょっとした一手間が加えられた朝衣のモーニングは、家庭で食べるなら申し分ない。
　遥人もわざとらしくなるのを気にしてか、べた褒めこそしてこないものの美味しそうに食べてくれる。……それでだけで、この人に決めて良かったなと思えた。
（まだ、一緒に暮らし始めて短いけれど）
　これから知らない側面が飛び出てくるかもしれないし、どうにも譲れない癖や生活スタイルで喧嘩をするかもしれない。それでも……こういう些細なところに幸せを感じるうちは、大丈夫だろう。
　仕事の笑える話や最近の音楽の話など、尽きない話を楽しみながら朝食を終え、おかわりのカフェオレを、お揃いのマグカップにたっぷりと作る。
　今日は休日返上で片付けなければならない書類もない。代わりに午後からは、平日にできない家事に手をつけ忙しくなる予定だ。ならばもう少しだけ、穏やかな朝を満喫したかった。
「そろそろ季節の変わり目だし、サーフボードのワックスも考えないとね」
「次のメンテナンス時期には新調しようかと思ってたんだよ。リーシュコードも見直したいし」
　買い直すペースは素材や扱い方によって異なるもの。リペアにも限界はあるし、命を預けるボードは適切なタイミングで買い換えるべきだろう。
「今のは何枚目くらい？」
「５枚目……かな。最初は結構無茶な使い方をしてたから、やってる年数のわりに多いんだけどさ」
　料理の専門学校時代に同級生から誘われたのを切っ掛けに始めたのなら、４年ほどだろうか。少しハイペースな気もするが、慣れた今では素材を気にして大事に扱っているようだから、それが価値観の違いに響くことはなさそうだ。
「あたしは中３からだから、サーフィンは先輩だったのね」
「へえ、受験の時期に……悪い友だちにでも誘われた？」
　共通の趣味を持っていても、知らないことはまだまだある。
　意外そうな顔で笑う遥人には、言ったことがなかったかなと思いつつ「まあね」と微笑み返した。
「受験のストレス発散のためでもあるけど、大部分は初恋の人に憧れて、ってところね」
　サーフィンは恋心を連れてきた。
　高く激しい波は、上手く乗りこなせたのかわからないまま、気付けば消えてしまっていて……取り残されたような『終わってしまった』という感覚は、積極的に次の波を探すことも待つこともできなくさせていた。
「最初の恋を連れてくるのがサーフィンなら、最後の恋を連れてくるのもサーフィンなんじゃない？」
「浪漫があっていいわね！」
　そうしてささやかな日々が過ぎるように、新しい側面を知って新しい恋をする。
　何度でも、あなたと。