なぜならそこに浪漫があるから｜リアクション

なぜならそこに浪漫があるから

　どうしてこうなったのかはわからない。
　教卓の下で息を潜めるウォルター・Bは、稲積柚春の頭を抑え込むように強く抱きしめていた。
「あった～？」
「あったあった、やっぱりこの教室だったわ」
　忘れ物を取りに来たらしい学生は、来た時と同じように慌ただしく去って行く。ぴしゃりと扉が閉まって、足音が遠く離れていくのを、２人でひっそりと聞いていた。
「……あっぶなかったねぇ」
　涼しい声音で言う彼に、柚春は思う。
　こんなトラブルなんて慣れた物なのだろうかと。よくある出来事なのだろうかと。
　だけど、気のせいでなければ――触れあったところから、少しだけ緊張していたような鼓動が聞こえる。だから少し期待して、彼に体重を預けるようにもたれかかってみた。
「ダメだよ、稲積」
「そのダメは、学校だから？」
　そうであったなら、まだ、素直な生徒として聞き分けられる。けれど。そうじゃなかったら？
　きゅっと彼の上着を握って、拒絶の意味を含まないでと願ってみた。
「稲積……っ！」
　何かを堪えるような声なのに、押し返しもしない。ならばとドキドキする鼓動に後押しされるように、柚春はそろりと彼の背に手を回そうとしたのだけれど。
「お願いだから……言うことを聞いて？」
　ただただウォルターは懇願する――腰が限界だから立たせてほしいと。

　元気に身体を伸ばす彼が無事で良かったけれど、なんとも釈然としない。
　柚春はもうちょっと『ロマンチックな何か』が起こっても良かったんじゃないかと思い、ふと問いかけた。
「男の人の浪漫って、どんなの？」
「浪漫？」
「ほら、冒険物とか熱血青春学園物とか色々……あるでしょ？」
　人の数だけ浪漫がある。憧れ追いかける物を――彼は１度失ってしまったけれど。何か、今も熱く焦がれる願いがあるのなら、叶える手伝いをしたいと思った。
「そうだなぁ……稲積に言える範囲では、難しいかもねぇ」
　にやりと笑う顔は、どこまで本気かわからない。
　いつだって、猫のように目を細めて意味深に口角を上げるから、柚春は振り回されてしまう。
「言えない浪漫って、とんでもなくセクシーなのとか？」
「ご想像におまかせしま～す」
　悪びれもせずに茶化すウォルターは、教卓をひと撫でする。特にここで、何をしていたわけでもない。
　残っている生徒が居ないか教室の見回りをしていて、たまたまそのウォルターを見かけた柚春が追って入ってきて……少し談笑していたら足音が聞こえて、慌てて隠れてしまったのだ。
「ねぇ、さっきの……隠れる必要あったぁ？」
　確かに部活も委員会にも所属していない生徒は残っている時間では無いし、人気のない教室で２人でいるなんて不自然かもしれないが、隠れなければならないほどの秘密の逢瀬をしていたつもりもない。
「えっ、あ……そういえば」
　先ほどから彼が『稲積』と呼ぶように、学校では節度を守っているはずで。ちょっと親しげに声をかけても、彼はぴしゃりと『先生』の顔で線引きをするから、なかなか青春を謳歌するのは難しい。
「ほら、学校で秘密の恋って言ったら定番だし」
　隠れる理由は様々だけれど、としながら隠れる場所を語る柚春は、誰を相手に話しているのかわかっていないらしい。
「へぇ……？」
「卒業したらできないし、今だけの貴重な体験だと思うな」
　コツコツと窓辺に近寄ったウォルターは強くカーテンを引く。そこは、先ほど柚春が語った隠れスポットのひとつだ。
「もっと教えてよ。どういうところなら悪いことができるのか」
　含みを持たせた笑みに、柚春はドキドキしながら引き寄せられる。そうしてカーテンの影に隠れ、甘い時間を期待するのだけれど――優しく抱き寄せてくれたはずの彼は『先生』の顔で笑う。
「風紀委員の見回りを強化させるから、ね」
　彼とロマンチックな何かを起こすには、先生の時間は難しいと思う柚春だった。

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