なぜならそこに浪漫があるから｜リアクション

なぜならそこに浪漫があるから

　風も冷たくなったこんな日は、数冊読みふけっても小言が飛んでこない喫茶店で、ゆったり読書に限る。
　自分が読める文字で書かれている本なら、ジャンルなどお構いなしに手に取る倉前七瀬は、黙々と読み進めていた。
　元々、読むのは速いほうであるし、集中すれば周囲の音が聞こえなくもなる。店員も、そっとコーヒーを置いて静かに去って行くから問題はないのだけれど……あるとすれば、知り合いに声をかけられても気づけないことくらいだろうか。
　それでも、外で声をかけてくれるくらい七瀬を知っていれば、「また本に夢中になって」と苦笑してそっとしておいてくれるか、何用かあるなら大きな声で呼びかけるだろう。
　だから、問題はないはずなのだ。
「今日はどんな本を読んでたの？」
　……そんな、よくある質問さえ飛んでこなければ。

　問われた七瀬は返答に困った。
　読書感想文の類いが苦手だからではない。読んでいたジャンルくらいは答えられる。
「今日は……さっき買った本、なのですが……」
　読んでいて咎められる本でもない。ちょっとハードではあったが、七瀬は成人しているのだから。
　そう心の中で言い訳をすればするほど、表情はそのままに顔が熱くなってしまう。
「読んだことのあるジャンルで、油断してたといいますか」
　ちらり、とウォルター・Bの様子を窺う。
　この手の本に免疫がないほど、彼が潔癖なわけでもないし生真面目でもない。
　自分だって、雑食に本を読むおかげで、この手のジャンルを読むことも知られている。
　だけども今日だけは。今日だけは、どうにも都合が悪い。
「……？」

　――普段は凜々しく獲物を捕らえるサファイアのような瞳が、幾分か幼げに見つめ返す。
　　　こちらが抱えている欲に気付いていないというより、彼の策に誘い込まれているようだ。
　　　数度瞬き、とぼけた笑みは妖艶に変わる。煌めく短めに整えられた髪が、癖のある毛先を遊ばせて
　　　無遠慮に近寄ってきた。思わず、弧を描く唇が何を強請るかと期待して目を見張らせてしまう――

「ち、違います！」
「何が？」
「興味がないわけではないですけどっ！」
「でも、買ったのは倉前なんでしょ？」

　――買われた者の行く末など決まっている。暴力にしろ、性欲にしろ、吐き捨て場になるだけだ。
　　　食事を与え、服を与え、愛を与えているフリをしても、最後に望むことは皆同じだと冷ややかに笑う。
　　　反吐を飲み込み頭を垂れるより、奥歯を噛みしめ腰を振る方が楽だと言うから、その白い腕を掴み――

　１度読めば覚えてしまう記憶力のせいで……目の前に、小説の登場人物と似たウォルターがいるせいで、より艶めかしく描かれはじめて、七瀬は落ち着き始めた頬の赤みを再び加速させる。
　表情が大きく変わることはないけれど、これだけ言い淀んで顔を赤らめるのだ。本の内容にも大体察しがついて、ウォルターは何の気なしにテーブルにある本を手に取った。
「……へぇ。可愛い子が出てくるなら紹介してよ。この本？」
「いやあ、可愛いというか……別に僕は容姿の好みとかはとくになくって」
　特徴は似ていたと思うけど、挿絵を見たって似ていないはずだ。そう思って買ったわけでもないし、本人が見たってなおさら……いや、たぶん……大丈夫だとは思うのだけども。
　パラパラと内容を確認したウォルターが苦笑いを浮かべているのは、きっと内容への反応が困っただけ……だと、思うのだけれども。
　それでも、こういう本を読んだあとなんだし、ちょっと気になるというか。
（ウォルターさんなら、どういう反応をするのかな……）
　抱きしめてみたくって、声をかけるタイミングを見計らう。
　遠慮がちに腕を開いたり閉じたりとしながら、どう切り出そうかと考える七瀬だったが。
「……えっち」
　ポンと本で頭を軽く叩かれ、「えへ」と笑って誤魔化すのだった。