スクール・コミュニケーション｜リアクション

スクール・コミュニケーション

　学校とは青春の主たる舞台である。異論はあろうが大様にして誤りではあるまい。友情、恋愛、夢、多くの学生は母校へ思春期の熱情を投影するものだ。
　であれば稲積柚春はどうだろう。まさしく高校二年生、いわゆるひとつのアオハル真っただ中、思春期中の思春期である。
「う～ん、どこだろ？　ウォルターさん」
　残念ながら、柚春とウォルター・Bの接点は学校内に見つけづらいのが実情だ。彼は担任教師ではないし、授業の受け持ちもないから滅多に出会うこともない。校外ではしばしば交流を持てているし、彼の邸宅にさえ出入りしているのだからそう不満なこともないのだが、やはり柚春も学生なのだった。
「食堂でレモンティーでも飲んでるかな？」
　と覗くが、お昼休みのそこに彼の姿は無い。
「それとも中庭でお昼寝……というには、今日はちょっと寒いよね」
　なんて思いつつもそれとなく探してみる。やはり彼はいなかった。
「図書室で読書？　それとも風紀委員か射撃部に顔を出してたり？」
　顔が広いハイスペック教師の居所を探るのは、ことのほか骨が折れた。
　ようやくにして有力情報が得られたのは、お昼も半ばを過ぎた頃だ。職員室で弁当をつまんでいた担任、大橋尚が教えてくれた。
「ブラックウッド先生なら、職員準備室じゃないかしら。授業で使う資料の整理をするとおっしゃってましたから」
「なるほど。ありがとう大橋先生！」
「あ、ちょっと待ってください。ブラックウッド先生に何の御用が？　担任の私にできることがあれば……」
「えーっと……い、イギリスの文化について、先生に質問がありまして。はい」
「そうですか。あまりお邪魔をしてはいけませんよ」
「はーいっ」
　尚は天然なところがあるから、柚春の秘めた想いを悟られはしなかっただろうが、少しばかり肝が冷えた。
　無論イギリス文化云々のくだりは建前であり、目的は彼と手製の弁当を楽しくいただくことだ。
　ややあって職員準備室のドアをノックし、柚春は扉を開いた。
「ウォルター先生。イギリスの食文化について教えてほしいんです！」
　怪訝そうに見返したウォルターの腹が、きゅるると鳴った。

「メアリが、今日はお昼を抜いておいてくださいね、なんて言うから。何かと思ったよぉ」
「えへへ」
　シェパーズ・パイ（ラム肉のミンチをマッシュポテトで包み焼き上げたもの）をスプーンでさくりとすくい、彼は実に美味そうに食べてくれた。
　メアリ・エヴァンズに託されたレシピノートの効果はてきめんだ。サンデーロースト、スコッチエッグ、ヨークシャー・プディング。案外と庶民的なイギリス料理が好評だった。
「イギリスの文化の勉強ねぇ。ずいぶんと、僕の好きなものが詰まった弁当だね」
「嬉し？」
「まあ、ね。うん、美味い。メアリの作る味に似てる」
「ほんと！？　やったね」
　建前ではある。ウォルターの食の好みを探りたいというのは本心だ。しかしそれ以上に意味があるのは、その過程で本場の英語に触れられることだ。
　アロマを趣味で終わらせたくない柚春は、香りのプロを職としようと志した。アロマショップの一販売員に始まり、調香師、香水ソムリエ、フレグランスインストラクター等々、選択肢も多岐に渡るからいまだ迷っているさなかではあるが、少なくとも目指す道は定まっている。
「どれを目指すにしても、英語は僕にとって必修科目になりそう。アロマオイルの種類も英語表記が多いしね」
「なるほどねぇ」
「年内には、ひとつ試験も受けてみようかって思ってるんだ。腕試しにね」
「そういうことなら、協力は惜しまないよぉ。先生として、ね」
　イタズラっぽく彼は言う。もちろんそのつもりだ。こと英語に関しては彼以上に頼れる者はほかにいまい。
　それはそれとして、である。
「……ワット。あーん」
　ローストビーフをフォークに刺し、彼の口元に近づける。
　眉をひん曲げて、
「学校ではウォルター先生。でしょ？」
「むう。そうだけど……」
　ウォルターとして頼りにしているし、ワットとしても甘えたい。
　だってここは学校だ。むしろ学校だからこそなのだ。柚春だって、青春を謳歌する権利はあるのではなかろうか。
　上目遣い。しばしフォークを差し出したまま、潤む瞳で見つめていたら、仕方ないといったそぶりで、彼はぱくりとそれを食べてくれた。

「特別だよぉ」
　それ以降はいくらフォークを差し出そうとも柚春の手ずから食べてはくれなかったが、弁当は大層好評で、手ごたえを得た柚春は満足に笑んだ。

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