楽しいと思うほど、寂しいと思ってしまう。
　嬉しいと思うほど、行かないでと願ってしまう。
　けれど、早川 珪がホストとしてもてなす人が多いほど、この願いが叶うことはない。それはまるで、人気の先生をいち生徒として慕っているのと変わりないようで……綾辻 綾花として、見てもらえないように思えた。

　――つい、さっきまでは。

「おかえりなさい！」
「ただいま。こうやって笑顔で迎えてくれるの、綾花だけだよ」
　珪にとって、図書室にとって喜ばしいことではないのかもしれないが、時間が経つにつれて指名の数は落ち着いていった。
　話のネタに、ちょっと応援で短時間だけ。わっと押し寄せた客は、先生も忙しいようだしとわっとパーティへ戻ったり、他の見知った顔を呼びつけて楽しみ始めてしまうから、珪が呼ばれることも少なくなった。
「ここでは、いっぱいリラックスしてくださいね」
「ありがとう。でも、本当にこの席に戻ると『帰ってきたな』って感じがするんだよね」
　それは『綾花』がここにいるからか、それとも『彼の落ち着く香り』を纏っているからか……その両方であるのかはわからないけれど。癒やせる場所になれることが、綾花には嬉しかった。
「私は、珪先生にもらったテディベアを見ると、ただいまって言いたくなります」
　贈ってもらえたのが嬉しかったこと、抱きしめていると良く眠れることを話せば、珪は意外そうな顔をする。
「綾花は猫が好きだから、熊はそこまでかなって思ってたけど」
「だってあの子は、珪先生が選んでくれましたし……」
　朝起きて、ドキッとすることもあるぐらいには珪に似ているから。思い出しても、頬はこれ以上赤くなりようがない。珪が名前を呼んでくれる度に心臓がうるさくて、何かを聞き逃してしまいそうなくらい高鳴っている。
「妬けちゃうな」
「え？」
　くすりと笑って、珪は残り少なくなってきたブーケサンドに手をつける。
「その子は抱きしめてもらえるのに、僕はまだ『先生』だ」
「……珪、さん……って、呼んでも？」
　ドキドキしながらそう問えば、ちょうどサンドイッチを囓ったばかりの彼は優しく目を細めた。
　きっとそれは、この時間だけの限られた物だけど。お仕事のひとつに、含まれるのかもしれないけど。
「はは、おかしいな。リラックスするならと思ったはずなのに……ちょっと照れるね」
　そう笑う珪が、ホストとも先生とも違って見えた気がしたから。
　綾花はもう１度、たくさんの愛しさをこめて「珪さん」と、とびきりの笑顔で彼を呼んだ。



　薄暗い店内が、さらに一段と明かりを絞った。
　店内に流れていたクラブミュージックは音量を上げ、テンション高く響く振動に合わせてミラーボールが光を踊らせる。マイクを手にした野々 ととおは、スポットライトを浴びて高らかに叫んだ。
「５番テーブルから、いただきましたー！」
　続いてスポットライトが捕らえたのは、稲積 柚春とウォルター・Bのテーブルだ。何かの間違いではないかと確認するようにウォルターが視線を寄越すから、柚春はにっこりと微笑んでピンクのハートを抱えた猫のフェーブを見せた。
「実は、入る前に相談したんだよね。予算内でどこまで大丈夫か」
　寝子島のお店が対象なら、ここもそうではないか。であれば彼をラストまで指名して、格好良いところも見られるのではないか。
　ワインクーラーに入ったボトルがテーブルに届けられる。ファーストクラスで取り扱うこともあるくらいには華やかな場で見劣りしないスパークリングジュースが、白にロゼと２本ある。
「……まったくもぉ」
　こんな無茶など、しなくていいのに。ウォルターは柚春の額に自分のそれをぶつけると、黒服からマイクを受け取り立ち上がった。彼を中心として、ずらりと店中のホストたちが柚春の前に跪く。
　ここまで大騒動になると思ってなかったのか、柚春は彼に恥をかかせないようにと姿勢を正し、ピアスへ触れて気を落ち着けた。

.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩

＼ なんとぉ 姫より ／

＼ わっしょいわっしょい！ ／

＼ カワイイ 姫より！ ／

＼ ヨッシャイヨッシャイ！ ／

＼ 愛のぉ籠もったスペシャルボトルゥ ／

＼ ノンアルシャンパンスペシャルボトル！ ／

＼＼＼ 頂いちゃいました～っ！ ／／／
.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩

　楽曲に合わせてコールする様子を眺めていた柚春は、突如飛んできたウォルターからのウインクに目を瞬かせた。
　一体何が、と思う間もなく彼は再び隣に座ってコールを続ける。

.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩

＼ 今夜はパーリナイ ／

＼ ヨロシクパーリナイ！ ／

.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩.̩₊̣.̩✧*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩⋆·̩̩.̩̥·̩̩⋆*̣̩˚̣̣⁺̣‧.₊̣̇.‧⁺̣˚̣̣*̣̩✧·.̩₊̣.̩

　そして音楽も最高潮――そんなタイミングで、ウォルターは柚春の肩をぐっと抱き寄せた。
「イッちゃっても、いいですかぁ？」
「……へ？」
　てっきり見て楽しむばかりで、自分が参加する側になるとは思っていなかったのだろう。マイクを差し出された柚春は少し戸惑って、このボトルを開けていいか問われているのだと理解した。
「ちゃーんと、まんぞくさせてね？」
　口笛や拍手が囃し立てる中、ボトルの栓が飛んでいく。１本はコールに参加してくれたホストに振る舞って、それからもう１本は静かに２人で乾杯して。
　まだまだこの不思議な夜の時間は続きそうだ――



　あまり乗り気ではなかった五十嵐 尚輝を励ましつつ、御巫 時子はホストクラブへとやって来て。青い鳥のぬいぐるみを抱えながら、ゆっくりお喋りできればと思っていたのだけれど――今、その鳥は隣で手荷物の番をしている。
「うう……振る舞うボトルはアルコールだったなんて……」
　シャンパンコールの一仕事を終えた尚輝は、ふらふらとテーブルに戻ってきた。どうやら気付かぬところで苦手なアルコールを飲むことになってしまったらしく、ひと息に煽ってしまったばっかりに酔いがまわってしまったようだ。
　今は、ぐるぐるする視界に耐えられず、時子の膝を借りる羽目になっている。
「大丈夫ですよ、少し休めばきっと楽になりますから」
　時子は黒服に尚輝の介抱をしたいことを伝え、冷えたおしぼりと水を用意してもらった。額や首元と熱の溜まりやすいところを冷やすため、横になってもらったほうが介抱しやすい――と付け加えれば、この状況に誰も口を挟まなかった。
（今日はとても一生懸命でしたから、疲れもあったかもしれませんね）
　ここでは単語帳のような物を見ながら、甘い言葉を必死に囁こうとしたり。遊園地では、カーニバルゲームの景品をとるため、両手一杯のカラーボールを蓋の開閉するバケツへ必死に投げ入れて。
　どれも楽しかったし、お話ができないことを残念に思う必要もない。
　彼がこうして、安心して安らいでくれている。それだけで時子は幸せな気持ちになれた。