GOOD BYE YESTERDAY｜リアクション

GOOD BYE YESTERDAY

　鹿や狐こそおらずとも、なるほど広い庭ではあった。
　柚春は熱心に草を抜き、箒をとって庭を掃いた。季節柄雑草は多くはないが葉のほうはつきることがない。落ち葉、枯れ葉に病葉（わくらば）、黄色、赤、茶色、いくらでも取れる。掃くほどに土煙がたち、晩秋の匂いがたちこめた。庭はずいぶんきれいになったものだ。
「冬が来ますね」
　メアリに呼びかけると、もうじき年の瀬ですねとメアリが応じた。メアリは来日して十数年になる。クリスマスという言葉より先に年の瀬と連想したあたり、彼女も日本的な感覚を身近なものとしているらしい。
「柚春様のおかげで、冬支度がはかどりました」
　風に吹かれメアリの後れ毛が揺れた。長い睫も。
　すでに六十歳に達しており初老、その言い方が失礼ならば壮年期のメアリであるが、若い頃はさぞや美しく、俗っぽく言ってモテたであろうと想像がつく。
　そういえば、メアリさんって……独身なんだっけ。
　ウォルターさんのお祖母さんの代から、ブラックウッド家に仕えているって話、だったよね。
　ウォルターが日本に行きたいと言ったとき、メアリは当然のように付き従ったという。そして異国の地で親族も友人もないまま彼の身の回りの世話を焼きつづけ、流ちょうな日本語を話すまでに至った。炊事洗濯掃除にいたるまで、ウォルターが何不自由なく生活できるのはメアリのおかげだ。メアリが文字通り献身的にウォルターのために働いているからだ。
　ブラックウッド家に仕えるだけの生涯、そんな言い方は意地悪だろうか。もちろん彼女とてプライベートでは読書や音楽鑑賞という趣味を持ち、ウォルターを我が子のように大事に思い見守ってきたという誇りもあるだろう。しかし彼女に『自分の人生』はないような気がする。メアリに半生を振り返る機会があったとすれば、ウォルターさまの幸せは自分の幸せ、そう断言するのではないか。もしウォルターがずっと寝子島に住みたいと言ったとしたら、メアリも喜んでこの島に骨を埋めるにちがいない。
　ワットへの想いなら僕、誰にも負けないと思ってる。
　でも、メアリさんの深い愛には及ばないかもしれないな。
　自分の彼への恋心と、メアリの忠誠心（という訳語より英語の“loyalty”に近いもの）は同じ種類ではないが、ついそんなことを考えてしまった。
「どうかされました？」
　手を止め、こちらをじっと見ている柚春に気づいてメアリは不思議そうな顔をした。
「ああ、ちょっと、なんていうか秋はセンチメンタルになりがちで」
　我ながら意味不明な弁明をして、「物思いにふけってました」と恥ずかしさをごまかすように笑うと、
「じゃ、そろそろ部屋のカーテンを交換しませんか」
　柚春は無闇に胸を張り、先に立って歩き出した。
「その前にお茶にしましょう」
　メアリはすぐ柚春を追い抜かし、屋敷の扉を開けて彼女を先導する。

　熱い紅茶と簡単なお茶菓子ばかりのティータイムだったが、外仕事を終えたばかりの体にはなによりのごちそうだった。
「前にメアリさんにもらったノート、使ってみたいんです」
　濃く淹れたアールグレイを飲みながら柚春は言ったものだ。
「だから今日のランチは、私も作るのを手伝っていいですか？」
　もちろんメアリに否やはない。
　メアリからもらったノートというのは、題して『ウォルターさまの好物ノート』といい、要はメアリが彼の好みの料理をまとめたレシピ集だった。基本英語だが、後に読む人のことを考えたのか簡単な言葉が中心で、ところどころメアリが書き加えた日本語の注釈もついている。
　ウォルターは昼食には戻る予定だという。だったら料理で出迎えて、しかも好物で驚かせたい。
　今日は軽いところでジャケットポテトを試してみよう。よく洗って皮つきのままローストしたじゃがいもに、ツナやエビマヨ、チーズやビーンズを添えた香ばしい一皿だ。簡単だしなによりおいしそうではないか！

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