セイレーンが歌う夜｜リアクション

セイレーンが歌う夜

＜起＞

　＞星が丘

　【Andante cantabile】で行われた星見茶会に参加していたレイ・ブライトンとレティシア・ル・テリエは参加者と共に楽しげに星を見ていた。ところが、お開きの時間になり、急に空が曇り始める。それと同じ頃、レティシアの耳に澄んだ歌声が聞こえてきた。
（……この、もの哀しい歌声は……私を呼んでる？）
　不意に聞こえた方向へ顔を向け、レティシアは耳を澄ませる。その声が海の方から聞こえて来た気がして、彼女はずっとその方向を見つめる。どこかぼんやりとした雰囲気に、傍らのレイは内心で首を傾げる。
（眠いのかな？）
　疲れたのだろうと思った彼はレティシアを送っていこうと車の手配をする。が、その最中に金色の髪を揺らし、レティシアは突如歩き出した。
「レティ？！」
　レイは追いかけ、レティシアの手を取る。それで我に返った少女は、不安げな表情で眼鏡の青年を見上げた。
「一体、どうしたの？」
「あっちから歌が聞こえるの。とっても悲しい声で歌ってる……」
「歌、ですか？」
　そう言われるが、レイには聞こえない。レティシアは今も海の方を見ている。彼女はレイの手を握り締め、真剣な眼差しで言った。
「この歌が、気になります。行かないと、いけない気がするんです」
　その言葉に、レイは静かにうなずいた。
「……行こう。その歌が聞こえる方へ」

＞星が丘寮

　その頃、維都月茉菜も外に出ていた。不意に聞こえて来た歌声が、彼女の胸に沈み込む。いつの間にか彼女は、その歌を口ずさんでいた。同時に、一瞬だけバクン、と肺と心臓が大きく音を立てたような気がした。
（……っ）
　無意識に胸を押さえるが、すぐに気のせいだ、と手を離す。僅かな不安もすぐに消え去り、茉菜の柔らかい唇は聞こえてくる歌をなぞらえるように口ずさみ続ける。
（こんな歌声に呼ばれたら、放っておけないよ）
　裸足で向かえば、風が少し生ぬるい。いつのまにか、土や草花の匂いが濃くなっている。ぼんやりとした意識の中、彼女はもうすぐ雨が来るんだな、と思っていた。それでも、足は止まらないだろうとも。
（行かなくちゃ）
　茉菜は歌いながら、ゆっくりと夜闇へ溶け込んでいった。

（何か、が、聞こえる）
　一人で部屋にいた碧川雪月は突如聞こえたモノに顔を上げた。見渡した部屋には手持ちの音楽プレイヤー以外に音を流すようなものは無い。音楽プレイヤーを繋げただけのヘッドホンは、何も流さない筈だ。それなのに、耳に響き、心を揺らす声が聞こえてくる。
（これは……）
　静寂をじわりと削る、冷たくも寂しい声。それが歌声である事に気づいた時、雪月は理解した。

　――あぁ、私は呼ばれているんだ。

　瞬間、雪月は歩き出していた。何も持たず、そのままの姿で。暗い夜道を一人歩いていくうちに、白い頬を涙が伝う。ハッキリと聞こえた事で、彼女は歌声から悲しみと苦しみを感じ取っていたのだ。
（ホント、嫌だ。こんな自分なんて……）
　感受性が高い彼女は、そう、内心で呟く。泣いて歩くなんて恥ずかしいだけだ。感受性が高い事で、得する事なんてまずない、と歯を食いしばる。けれども、胸には歌声から感じ取った思いが満ちて、涙が止まらなかった。
（でも、行かなくちゃ。この先へ）
　記憶が確かならば、その先はエノコロ岬だった気がする。雪月は歌声の聞こえる方へと歩きながら、一つの意思を固める。
（この歌は『何か』を伝えようとしている。なら、その『何か』を私が誰かに伝えられたら……！）

　やがて、雪月と茉菜は並んで歩いていた。互いに互いを意識しないまま、そろってエノコロ岬へと歩き続けていった。

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